2018年4月1日日曜日

ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)ーその2

テイト・ブリテン美術館に所蔵展示されている
ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」

1848年9月、ロンドンのロイヤルアカデミー(Royal Academy)付属の美術学校(Antique Schol)で学友だったウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt:1827年ー1910年)やダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti:1828年ー1882年→2018年3月4日 / 3月11日付ブログで紹介済)達と一緒に、「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)を結成した初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年)は、「ラファエル前派」としての最初の作品「ロレンツォとイザベラ」を描く。また、彼が1849年から1850年にかけて制作した「両親の家のキリスト(Christ in the House of His Parents)」は、キリストを含む聖なる家族を現実的に、かつ、忠実に描き過ぎていたため、当時の画壇から痛烈な避難が浴びせかけられた。

その後、ジョン・エヴァレット・ミレーが1851年から1852年にかけて制作して、1852年のロイヤルアカデミー展に出品した作品「オフィーリア(Ophelia)」は、彼のそれまでの作品とはうって変わって、画壇から非常に高い評価を獲得した。
同作品は、現在、テイト・ブリテン美術館(Tate Britain→2018年2月18日付ブログで紹介済)に所蔵展示されており、数ある絵画の中でも、一二を争う人気作品となっている。

ギルドホール アートギャラリー(Guildhall Art Gallery)の外壁内に設置されている
ウィリアム・シェイクスピアの胸像

ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」は、英国の劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年)作「ハムレット(Hamlet)」の一場面を主題にした作品である。
なお、「ハムレット」の正式題名は、「デンマークの王子ハムレットの悲劇(The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark)」で、ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つである。同作品は、1600年ー1601年頃に執筆されたと言われており、1609年に初演されている。
ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」に話を戻すと、デンマーク王国の王子で、恋人のハムレット(Hamlet)に、デンマーク王国の侍従長で、父親のポローニアス(Polonius)を誤って殺されたショックで発狂した末に川で溺死したオフィーリア(Ophelia)の姿を描いている。オフィーリアの身体の水上に浮かんだ部分と水面下の部分との対比(コントラスト)、また、画面前景の水草や川岸に生える群葉等の綿密な描写等に驚きを禁じ得ず、詳細を描き込み、豊かな色彩を用いる「ラファエル前派」が作品を創造する上での理想概念通りの作品となっている。

後(=1860年)にダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの妻となるエリザベス・シダル(Elizabeth Siddal:1829年ー1862年)が、ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」のモデルを務めている。
ロンドン郊外の南西部にあるオールドモルデン(Old Morden)には、テムズ河(River Thames)の支流に該るホグスミル川が流れており、ジョン・エヴァレット・ミレーは、このホグスミル川の川岸に画架を置き、一日11時間、週6日にわたって絵を描く生活を、5ヶ月間続け、「オフィーリア」の背景となる水草や群葉等を描き込むための準備を行った。

ただ、「オフィーリア」のモデルとなるエリザベス・シダルの身体をホグスミル河に浮かべることは無理だったため、ジョン・エヴァレット・ミレーは、ロンドン市内にある自分のアトリエ内に備え付けられた浴槽に水を張り、そこに浸かるエリザベス・シダルを描いた上で、背景と重ね合わせる手法を採った。彼は、浴槽の下に石油ランプを置いて、水温を一定に保つことにしたものの、絵画の制作に没頭してしまい、石油ランプの灯が消えたことに気付かず、冷たい水の中で我慢を強いられたエリザベス・シダルは肺炎になってしまった。そのため、ジョン・エヴァレット・ミレーは、彼女の父親から慰謝料を請求されるという事態まで発展したのである。

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