2018年4月15日日曜日

ロンドン ロンドン塔(Tower of London)-その2

雨上がりの夕闇の中に照らされるロンドン塔

1066年にヘースティングズの戦い(Battle of Hastings)を経て、イングランドを征服して、ノルマン朝を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年)が、ロンドンを外敵から防衛するため、1078年に堅固な要塞の建設を命じたのが、ロンドン塔の始まりである。要塞の本体は約20年で完成した。なお、その本体は、日本の城の「天守閣」に該り、英国の城では「キープ(keep)」と呼ばれる部分で、ロンドン塔の場合は、中央の「ホワイトタワー(White Tower)」がこれに該る。そのため、ロンドン塔は、「Tower of London」、一般に「Tower」と呼ばれている。

ロンドン塔の右手奥に聳え建つのは、
シャード(Shard)ビル

その後、プランタジネット朝第2代のイングランド王であるリチャード1世(Richard I:1157年ー1199年 在位期間:1189年ー1199年)が、本体を囲む城壁の周囲に濠の建設を命じ、プランタジネット朝第4代のイングランド王であるヘンリー3世(Henry III:1207年ー1272年 在位期間:1216年ー1272年)の治世に完成を迎えた。

夜闇に浮かび上がるロンドン塔(その1)

当初の建設時より、ロンドン塔は英国王が居住する宮殿として使用され、ステュアート朝初代のイングランド王であるジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)がロンドン塔に居住した最後の英国王とされている。
ロンドン塔は、英国王が居住する宮殿の他に、兵器庫、宝物庫、王立動物園や造幣所等としても使用された。

夜闇に浮かび上がるロンドン塔(その2)

また、1282年から、ロンドン塔は、身分の高い政治犯を幽閉したり、処刑したりする監獄としても使用され始めた。特に14世紀以降は、英国王室の政敵や反逆者等を処刑する場となったのである。
ロンドン塔で処刑された人々の中には、

(1)ヘンリー6世(Henry VI:1421年ー1471年 在位期間:1422年ー1461年+1470年ー1471年)
ランカスター朝最後のイングランド王で、薔薇戦争(Wars of the Roses:1455年ー1485年+1487年)において、ヨーク朝のエドワード4世(Edward IV:1442年ー1483年 在位期間:1461年ー1483年)により捕えられ、暗殺される。

(2)エドワード5世(Edward V:1470年ー1483年 在位期間:1483年) / 初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリー(Richard of Shrewsbury, 1st Duke of York and 1st Duke of Norfolk)
エドワード4世の王子達であるが、父の死後、ロンドン塔に幽閉されたまま、行方不明となる。イングランド王位を奪ったリチャード3世(Richard III:1452年ー1485年 在位期間:1483年ー1485年)によって殺害されたと言われている。

一番右手の人物が、
エドワード5世達を殺害して、イングランド王位を簒奪したとされる
リチャード3世

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
リチャード3世の肖像画の葉書
(Unknown artist / Late 16th century / Oil on panel
638 mm x 470 mm) 

(3)アン・ブーリン(Anne Boleyn:1507年ー1536年)
テューダー朝第2代のイングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)の2番目の王妃(1533年に結婚→1536年に離婚)で、姦通罪等により処刑された。彼女に着せられた罪は濡れ衣とされており、ロンドン塔には、今でも、自分の首を探す彼女の亡霊が出ると噂されている。

一番左手の人物が、今でもロンドン塔内に
首のない亡霊として現れると噂されているアン・ブーリン

一番右手の人物が、姦通罪等を理由にして、
ロンドン塔内でアン・ブーリンを斬首刑に処したヘンリー8世

ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
アン・ブーリンの肖像画の葉書
(Unknown artist / 1535 - 1536年頃 / Oil on panel
543 mm x 416 mm) 


(4)ジェーン・グレイ(Jane Grey:1537年ー1554年 在位期間:1553年7月10日ー同年7月19日)
テューダー朝初代のイングランド王であるヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年)の曾孫で、エドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)の死後、有力貴族の思惑によって、イングランド女王に擁立されたが、メアリー1世(Mary I:1516年ー1585年 在位期間:1553年ー1558年)に敗れて、9日間で廃位となり、処刑された。

等が、非常に有名である。

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