2022年1月29日土曜日

アンソニー・ホロヴィッツ作「絹の家」(The House of Silk by Anthony Horowitz) - その1

英国の The Orion Publishing Group 社から2011年に出版された
アンソニー・ホロヴィッツ作「絹の家」の表紙(ハードカバー版)


本作品「絹の家(The House of Silk)」は、英国の小説家で、推理 / サスペンスドラマの脚本家でもあるアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz:1955年ー)が、コナン・ドイル財団(Conan Doyle Estate Ltd.)による公認(公式認定)の下、シャーロック・ホームズシリーズの正統な続編として執筆の上、2011年に発表された。


アンソニー・ホロヴィッツは、ITV1 で放映された「名探偵ポワロ(Agatha Christie's Poirot)」(1991年ー2001年)、「バーナビー警部(Midsomer Murders)」(1997年ー2000年)や「刑事フォイル(Foyle's War)」(2002年ー2015年)等の脚本を担当していることで有名である。


1890年11月も終わりに近付いた頃、ジョン・H・ワトスンは、古巣ベーカーストリート221B(221B Baker Street)のシャーロック・ホームズの元を訪れていた。

ワトスンの妻(旧姓:メアリー・モースタン(Mary Morstan))は、ちょうどその時、以前家庭教師をしていたセシル・フォレスター夫人(Mrs. Cecil Forrester)の子息リチャード(Richard)がインフルエンザに罹患したので、見舞いの為、キャンバーウェル地区(Camberwell → 2017年12月9日付ブログで紹介済)へと出かけて、ケンジントン地区(Kensington)の自宅を留守にしていたのである。ワトスンがホームズを訪ねたのは、妻がキャンバーウェル地区へ出発するのを見送った駅からの帰りであった。


そんな中、ウィンブルドン(Wimbledon)に住むエドムンド・カーステアーズ(Edmund Carstairs)が、ホームズのところへ事件の相談にやって来る。

彼は美術商で、共同経営者であるトバイアス・フィンチ(Tobias Finch)と一緒に、アルベマールストリート(Albemarle Street - ロンドンの高級地区メイフェア(Mayfair)内にあり)沿いでカーステアーズ・アンド・フィンチ画廊(Gallery Carstairs and Finch)を営んでいると言う。

彼は、米国人の妻キャサリン(Catherine)と一緒に、ウィンブルドンにあるリッジウェイホール(Ridgeway Hall)に住んでいるが、2週間程前から自宅の周囲に不審な男が出没して、自分を見張っていることに気付いたと話す。それだけにとどまらず、彼が妻を伴ってロンドンのサヴォイ劇場(Savoy Theatre → 2021年7月7日付ブログで紹介済)へ出かけた際にも、その不審な男が通りの反対側に立って、自分達を見ていたと怯える。彼には、心当たりがあり、米国においてある事件に巻き込まれたことが原因ではないかと推測していた。

ホームズは、彼に詳しい話を求めるのであった。


今から1年半前に、エドムンド・カーステアーズは、知人経由、ロンドンに来ていた裕福な米国人コーネリアス・スティルマン(Cornelius Stillman)を紹介された。

ボストンに美術館を建設する計画に着手していたスティルマン氏に、エドムンドとトバイアスの二人は、英国の風景画家ジョン・コンスタブル(John Constable:1776年ー1837年)が湖水地方(Lake District)を描いた連作4点他を買い取ってもらった。

絵画は、梱包された後、リヴァプール(Liverpool)からニューヨークまで船で運ばれ、ニューヨークからボストンまでは、彼らの米国代理人であるジェイムズ・デヴォイ(James Devoy)が列車に積み替えて、自ら目的地まで付き添う予定であった。ところが、同じ列車でマサチューセッツ・ファースト・ナショナル銀行(Massachusetts First National Bank)へ運ばれる10万ドルの現金強奪を狙ったベルファスト(Belfast - 北アイルランド)出身の双子ルーク・オドナヒュー(Rourke O’Donaghue - 大柄で気性が荒い)とキーラン・オドナヒュー(Keelan O’Donaghue - 小柄で物静か)が率いるギャング集団「フラットキャップ(Flat Cap Gang)」による襲撃を受けて、ジョン・コンスタブルの絵画は、爆薬で粉々に吹き飛んでしまったのである。ジェイムズ・デヴォイも、襲撃の巻き添えに会い、ギャング達に射殺されてしまった。


事件の知らせを受けて、エドムンドは急いで米国へと向かった。ボストンでエドムンドを出迎えたスティルマン氏は、早速、ピンカートン探偵社(Pinkerton’s)に連絡をとり、て探偵ビル・マクパーランド(Bill McParland)を雇い入れる。

数週間にわたる捜査の結果、ボストンのアイルランド移民が大勢住む地区の安アパートにギャング達が隠れていることを突き止めたマクパーランド探偵は、武装した数十名の部下を率いて、急襲をかけた。激しい銃撃戦の上、ピンカートン探偵社の2名が射殺され、マクパーランド探偵も負傷するが、ルーク・オドナヒューを含む5人のギャング達は、全身蜂の巣となった。しかし、双子の一人キーランド・オドナヒューは、床下の排水溝を通って、辛くも脱出していたのだ。


ボストンから英国へ戻るべく、乗船しようとしていたエドムンドは、新聞の第一面見出しを見て、驚く。スティルマン氏が、別荘での散歩中に、射殺されたのである。

生き残ったキーラン・オドナヒューによる報復なのか?

自分にも危険が迫っているのではないかと心配し、心労で体調を崩すエドマンドであったが、同じ船に乗っていたキャサリン(暴力的な夫が亡くなり、財産を処分して、英国へ向かう途中)の看病を受け、無事体調を回復する。そして、英国に戻ったエドムンドは、キャサリンと結婚したのであった。


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