2018年12月30日日曜日

ジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling)–その3

'The Cat That Walked by Himself'
Image taken from 'Just So Stories for Little Children'
illustrated by the author RUdyard Kipling -

大英図書館(British Library → 2014年5月31日付ブログで紹介済)で
筆者が購入した絵葉書から抜粋。

ジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling:1865年ー1936年)に対して、南アフリカは、次のように関わってくる。

(1)英国領ギニアの国境を巡る英国とヴェネズエラの対立に端を発した英国と調停役の米国の関係悪化→米国のマスコミによる固定的な反英感情
(2)飲酒と破産等によって緊迫した義弟ビーティー・ボレスティアーとの不和→暴力未遂事件に基づく義弟の逮捕

に基づき、ゴシップ好きなマスコミにプライバシーを完全に失ったため、米国から英国に戻って来たキップリング一家は、1898年から1908年までの毎年(1899年を除く)の恒例行事として、南アフリカへ冬期休暇に出かけた。ジョーゼフ・キップリングは、大英帝国が誇る小説家 / 詩人として、現地において、

(1)セシル・ジョン・ローズ(Cecil John Rhodes:1853年ー1902年)→ケープ植民地首相(1890年ー1896年)を務め、「アフリカのナポレオン」と呼ばれた。
(2)初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナー(Alfred Milner, 1st Viscount Milner:1854年ー1925年)→1897年からケープ植民地(Cape Colony)の長官を務めた。
(3)サー・リアンダー・スター・ジェームソン(Sir Leander Starr Jameson:1853年ー1917年)→南アフリカ会社管理人(1891年)、ケープ植民地議会議員(1900年)やケープ植民地首相(1904年ー1908年)を務め、1911年に準男爵に叙せられた。

を初めとするケープ植民地で影響力がある政治家達に暖かく迎えられた。彼らとの友情を培い、また、彼らの政治を称賛したジョーゼフ・キップリングが南アフリカを訪問した時期には、第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年ー1902年)や南アフリア連邦形成(1910年)等があり、大英帝国による南アフリカ統治が大きく進んだ頃である。

ジョーゼフ・キッップリングは、第二次ボーア戦争の戦線を視察して、軍隊の近代化を主張し、英国に戻ると、大英帝国の立場を支持する詩を書いて、募金を募り、兵士の留守家族の援助を行った。

そういったこともあって、ジョーゼフ・キップリングを「大英帝国主義の伝道者」とか、「人種差別思想の持ち主(東洋蔑視主義者)」等と評価されるケースもある。

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