2018年12月29日土曜日

ロンドン ウェルウォーク40番地(40 Well Walk)

19世紀の英国を代表する風景画家のジョン・コンスタブルが住んでいた
ウェルウォーク40番地の家(画面中央の建物)

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第11作目に該る「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage→2018年8月12日 / 8月19日付ブログで紹介済)において、フランク・ドランス(Frank Dorrance)の絞殺死体が発見されたテニスコートがあるニコラス・ヤング邸は、ロンドン北西部郊外の高級住宅街ハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるという設定になっているが、ハムステッド地区内には、19世紀の英国を代表する風景画家であるジョン・コンスタブル(John Constable:1776年ー1837年)が住んでいた家がある。


ハムステッドヒース(Hampstead Heath→2015年4月25日付ブログで紹介済)の南側を延びるイーストヒースロード(East Heath Road)をハムステッドヒース駅(Hampstead Heath Railway Station)へと向かって、東へ下って行く途中、右手に見えるウェルウォーク(Well Walk)へと右折する。ウェルウォークを南下して、ゲインズボローガーデンズ(Gainsborough Gardens)とクライストチャーチヒル(Christchurch Hill)に挟まれた左手にあるウェルウォーク40番地(40 Well Walk)の家に、ジョン・コンスタブルは住んでいた。

ウェルウォーク40番地の前から北方面を見たところ

ジョン・コンスタブルは、ロンドンの中心部ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のフィッツロヴィア地区(Fitzrovia)内にあるシャーロットストリート(Charlotte Street)沿いにアトリエを有していたが、結核を患う妻マリア(Maria:1787年ー1828年)の療養のため、1827年にハムステッドヒースに近いウェルウォーク40番地の家を借りた。

ウェルウォーク40番地の玄関

建物外壁には、
ジョン・コンスタブルがここに住んでいたことを示す
ブループラークが架けられている

残念ながら、彼の妻マリアは、翌年の1828年に死去してしまうが、ジョン・コンスタブルは、この家で暮らし続けて、ハムステッド地区周辺の風景を描くとともに、妻マリアとの間に生まれた7人の子供を一人で育て上げた。


1837年3月31日、彼は、ロンドン市内のアトリエにおいて、心臓麻痺のため、61歳の生涯を終えたが、亡くなるまで、ウェルウォーク40番地の家に住んでいたのである。

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