2018年7月22日日曜日

ロンドン クイーン アン ストリート23番地(23 Queen Ann Street)

英国のロマン主義の画家であるジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが住んでいた
クイーン アン ストリート23番地は、
1st Floor(日本では、2階)から英国の国旗が掲げられている建物である

18世紀末から19世紀中頃にかけて活躍した英国のロマン主義の画家である「J・M・W・ターナー(J. M. W. Turner)」こと、ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner:1775年ー1851年)が住んでいた家が、クイーン アン ストリート23番地(23 Queen Ann Street)にある。クイーン アン ストリート23番地は、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のマリルボーン地区(Marylebone)内に所在している。


クイーン アン ストリート(Queen Ann Street→2014年11月15日付ブログで紹介済)は、東西に延びる通りで、東側はチャンドスストリート(Chandes Street)から始まり、西側はウェルベックストリート(Welbeck Street→2015年5月16日付ブログで紹介済)に突き当たって終わっている。
なお、チャンドスストリートは、サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」等に登場したランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)の西側を南北に延びる通りである。また、ウェルベックストリートは、「最後の事件(The Final Problem)」において、シャーロック・ホームズが、犯罪界のナポレオンであるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)配下の者が乗った二頭立ての馬車に襲撃された通りである。

クイーン アン ストリート23番地の建物全景

クイーン アン ストリート23番地の Ground Floor / 1st Floor

クイーン アン ストリートは、英国のステュアート朝(House of Stuart)最後の君主であるアン女王(Queen Ann:1665年ー1714年)に因んで名付けられている。アン女王は、1702年3月に(最後の)イングランド王国・スコットランド王国君主およびアイルランド女王(Queen of England, Scotland and Ireland)として即位し、1707年5月にスコットランドがイングランドに併合されたことに伴い、(最初の)グレートブリテン王国君主およびアイルランド女王(Queen of Great Britain and Ireland)として、1714年8月まで君臨した。


クイーン アン ストリート23番地は、ウィンポールストリート(Wimpole Street)とウェルベックストリートに東西を挟まれたクイーン アン ストリートの南側にある建物で、現在はフラットになっている模様。

クイーン アン ストリート23番地の入り口(その1)

クイーン アン ストリート23番地の入り口(その2)

ロンドンの劇場街コヴェントガーデン(Covent Garden)に生まれ、若くして成功と名声を手にいれたジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、1812年にそれまで住んでいたハーリーストリート64番地(64 Harley Street)からクイーン アン ストリート23番地へと引っ越して、亡くなる1851年まで、その家を所有したそうである。クイーン アン ストリート23番地の駐車場入口上の外壁に、画家ターナーがここに住んでいたことを記すプレートが掲げられている。

画家ターナーが
クイーン アン ストリート23番地に
住んでいたことを記すプレート(その1)

画家ターナーがクイーン アン ストリート23番地に
住んでいたことを記すプレート(その2)

なお、彼が亡くなった場所は、クイーン アン ストリート23番地ではなく、1846年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(Royal Academy of Arts)の副会長を辞した後に居を構えたケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea)内にあるテムズ河(River Thames)沿いの家であった。

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