2018年3月25日日曜日

ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)−その1

中央に見えるガウアーストリート7番地(7 Gower Street)の建物が、
1848年9月、ジョン・エヴァレット・ミレーが、
ウィリアム・ホルマン・ハントやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ達と一緒に、
「ラファエル前派」と呼ばれる芸術グループを結成した場所である。

初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年)は、19世紀中頃、「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)を結成した画家の一人である。


ジョン・エヴァレット・ミレーは、1829年6月8日、英国南部の都市サザンプトン(Southampton)に、馬具製造販売業である父親ジョン・ウィリアム・ミレー(John William Millais)と母親エミリー・メアリー・ミレー(Emily Mary Millais)の息子として出生。
彼は幼少期の初期を英仏海峡に浮かぶチャネル諸島(Channel Islands)の一つであるジャージー島(Jersey)で過ごす。その後、彼の家族は対岸にあるフランスのブルターニュ地方(Brittany)へと移り住んでいる。
ジョン・エヴァレット・ミレーは、幼少期より優れた画才を示し、彼の才能に認めた両親(特に、母親は美術や音楽に造詣が深く、自分の息子に絵を描くよう、積極的に薦めた)は、息子に十分な教育を与えるため、1839年にロンドンへと転居したのである。

ガウアーストリート(Gower Street)の南側から
7番地の建物を見上げたところ

ガウアーストリートの北側から
7番地の建物を見たところ

両親と一緒にロンドンへと転居したジョン・エヴァレット・ミレーは、翌年の1840年(11歳)に、史上最年少でロイヤルアカデミー(Royal Academy)付属の美術学校(Antique School)への入学を許可され、1846年(16歳)には、ロイヤルアカデミーの年次展への入賞を果たす。
彼は、ロイヤルアカデミー付属美術学校で、後に「ラファエル前派」を一緒に結成することになるウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt:1827年ー1910年)やダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti:1828年ー1882年 → 2018年3月4日 / 3月11日付ブログで紹介済)達と出会っている。

ガウアーストリート7番地の入口

ガウアーストリート7番地の入口と建物外壁

ロイヤルアカデミー付属美術学校の在学中から、当時の画壇への不満を募らせていたジョン・エヴァレット・ミレーは、同校を卒業した後の1848年9月、ウィリアム・ホルマン・ハントやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ達と一緒に、「ラファエル前派」と呼ばれる芸術グループを結成した。


ガウアーストリート7番地の建物外壁には、
「1848年に、ここでラファエル前派が結成された」ことを示す
プループラーク(English Heritage が管理)が架けられている。

「ラファエル前派」が結成されたのは、ジョン・エヴァレット・ミレーが彼の家族と一緒に住んでいた家で、ロンドンの中心部ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にあり、大英博物館(British Museum→2014年5月26日付ブログで紹介済)のすぐ近くに建っている。正確な住所は、「7 Gower Street, Bloomsbury, London WC1E 6HA」で、北側のユーストンロード(Euston Road)から南側のトッテナムコートロード(Tottenham Court Road)方面へと下る幹線道路に面しており、一歩通行の道路ではあるが、車の往来は激しい。

テイト・ブリテン美術館に所蔵展示されている
ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」

現在、テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)に所蔵展示されており、数ある絵画の中でも、一二を争う人気作品となっている「オフィーリア(Ophelia)」を、ジョン・エヴァレット・ミレーは、1851年から1852年にかけて、ガウアーストリート7番地の家で完成させている。

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