2018年3月4日日曜日

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)-その1

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが出生した
ハラムストリート110番地の建物

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti:1828年ー1882年)は、19世紀中頃に結成された「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」を代表する英国の画家 / 詩人である。


ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(以下、ロセッティ)は、1828年5月12日、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のフィッツロヴィア地区(Fitzrovia)内にあるハラムストリート(Hallam Street)において、イタリア系移民の子として出生。

ハラムストリート110番地の建物は、現在、フラットになっている

彼の本名は、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティではなく、正確には、ゲイブリエル・チャールズ・ダンテ・ロセッティ(Gabriel Charles Dante Rossetti)であった。彼の家族や友人達は彼のことを「ゲイブリエル」と呼んだが、叙事詩「神曲(La Divina Commedia)」を発表したイタリアの詩人、哲学者で、政治家でもあったダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri:1265年ー1321年)に敬意を払って、彼自身は「ダンテ」を自分の名前の先頭に置いたのである。
彼の父ゲイブリエーレ・パスクゥーレ・ジュゼッペ(Gabriele Pasquale Giuseppe)は著名なダンテ詩人だったため、彼の名前に「ダンテ」が使われたものと思われる。

ハラムストリート110番地の建物の玄関上の外壁に、
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティがここで出生したことを示すブループラークが架けられている

また、兄のクリスティーナ・ロセッティ(Christina Rossetti)は詩人に、姉のマリア・フランチェスカ・ロセッティ(Maria Francesca Rossetti)と弟のウィリアム・ロセッティ(William Rossetti)は作家となった。

ハラムストリートは、110番地の奥で行き止まりになっている

幼少期、ロセッティは家で彼の父から教育を施され、聖書、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 英国の劇作家 / 詩人)、チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens):1812年ー1870年 英国の小説家)、初代准男爵サー・ウォルター・スコット(Sir Walter Scott, 1st Baronet:1771年ー1832年 英国の詩人 / 小説家)や第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 英国の詩人)等の作品に慣れ親しんだ。

ハラムストリートの行き止まりから
デヴォンシャーストリート(Devonshire Street)を望む

父ガブリエーレがイタリア語教授として勤めていたこともあり、1837年にロセッティは弟のウィリアム・マイケルと共にキングスカレッジスクール(King’s College Schoolーシティー・オブ・ウェストミンスター区のストランド地区内に所在)に入学。当初、ロセッティは詩人になろうとしていたが、絵画への興味が増してきて、1841年にキングズカレッジスクールから私立絵画学校へと移り、1845年までそこで絵画を学んだ。そして、1846年には、ロイヤルアカデミー(Royal Academy)付属の美術学校(Antique School)に入学して、絵画の道を追求した。

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