2017年4月23日日曜日

サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)

ストランド通りの中州に建つセントクレメントディンズ教会の裏手にあるサミュエル・ジョンソン像

サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson:1709年ー1784年)は、18世紀の英国において、小説家、詩人、評論家、道徳家、文芸評論家、伝記作家、編集者、そして、辞書編纂者として多岐にわたり、英国の文学界に多大な貢献をした人物である。

サミュエル・ジョンソン像の全景

サミュエル・ジョンソンは、1709年9月18日、イングランド中部の州スタフォードシャー(Staffordshire)のリッチフィールド(Lichfield)に出生。彼の父親は小さな書店主であった。
彼はオックスフォードのペンブルックカレッジ(Pembroke College)で学ぶが、家が貧しかったため、学資の工面が続かず、1年程で中退を余儀なくされ、故郷へ戻って、教員となった。
1735年、20歳年上で未亡人のエリザベス・ポーター(Elizabeth Porter:1689年ー1752年)と結婚した。

シティー・オブ・ウェストミンスター区と
シティー・オブ・ロンドンを境界線に建つ
テンプルバー(Temple Bar)

1737年に、サミュエル・ジョンソンはロンドンに出て来て、雑誌への寄稿を行うとともに、伝記、詩集や悲劇等を発表した。
1746年に、彼は「英語辞典(A Dictionary of the English Language)」の刊行計画を公表する。アカデミーフランセーズが1694年にフランス語辞典を完成させるまでに約40年間を要したため、個人で英語辞典を編纂することは到底無理だと一般に考えられていたが、刊行計画の公表から9年後の1755年に、彼は英語辞典2巻を完成させた。この業績により、同年、彼はオックスフォード大学から「文学修士(Master of Arts degree)」の学位を、授与された。また、1775年に、同大学より「法学博士(Doctor of Laws degree)」の学位を授与されている。約150年後に「オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)」(1928年)が完成するまでの間は、サミュエル・ジョンソンによる英語辞典が、英国における基礎となったのである。

ストランド通り沿いに建つ王立裁判所
(イングランドとウェールズの最高法廷)

1759年に、彼は小説「ラセラス(The History of Rasselas, Prince of Abissinia)」を発表。
1763年に、彼は約30歳年下でスコットランドの法律家/伝記作家であるジェイムズ・ボズウェル(James Boswell:1740年ー1795年)と知り合い、以後親交を結んだ。サミュエル・ジョンソンは、ジェイムズ・ボズウェルと一緒にスコットランドを旅した記録として、「スコットランド西方諸島の旅(A Journey to the Western Island of Scotland)」(1775年)を発表し、ジェイムズ・ボズウェルは、伝記として「サミュエル・ジョンソン伝(The Life of Samuel Johnson)」(1791年)に発表している。
1765年には、サミュエル・ジョンソンは「ウィリアム・シェイクスピア戯曲集(The Plays of William Shakespeare)」を刊行している。
他にも、彼は17-18世紀の詩人の伝記と評論をまとめた「詩人列伝(Lives of the Poets)」(1779年ー1781年)を発表した。

ストランド通りの中州に建つセントクレメントディンズ教会―
サミュエル・ジョンソン像はこの裏手に建っている

18世紀の英国において「文壇の大御所」と呼ばれたサミュエル・ジョンソンは、1784年12月13日の晩に死去して、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に埋葬された。歴代の王、女王や政治家等が埋葬されており、現在、墓地としては既に満杯状態で、新たに埋葬するスペースはなくなっている。

サミュエル・ジョンソン像は、
セントクレメントディンズ教会の裏手に
ひっそりと佇んでいる

親しみを込めて「ジョンソン博士(Dr. Johnson)」と呼ばれる彼のブロンズ像が、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からシティー・オブ・ロンドン(City of London)へ向かって東に延びるストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)がフリートストリート(Fleet Streetー2014年9月21日付ブログで紹介済)へと名前を変える辺り、つまり、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)とシティー・オブ・ロンドンの境界線近くに建っている。具体的には、王立裁判所(Royal Court of Justiceーイングランドとウェールズの最高法廷)の前で、ストランド通りの中州に建つセントクレメントディンズ教会(St. Clement Danes)の裏手に、彼の像はひっそりと佇んでいるため、あまり気付かれないのが残念である。彼が住んでいた家「ジョンソン博士の家(Dr. Johnson's House)」が近くにある関係上、ここに彼の像が設置されたのだと思われるが、彼が英国の文学界に果たした役割を考えると、設置場所としては、少しばかり可哀想な扱いである。

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