2016年1月2日土曜日

ロンドン キングチャールズストリート/外務省(King Charles Street / Foreign and Commonwealth Office)

英国外務省が入居している建物の正面全景

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。


英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、アーサー・ヘイスティングス大尉とミス・フェリシティー・レモンの二人が不在となるクリスマスを一人で楽しもうと、ポワロはロンドン市内のチョコレート店へやって来た。自分用のチョコレートを購入して帰宅しようとしたポワロは、店の前で突然謎の男二人によって車内へ押し込められ、連れ去られてしまう。美しい曲線が印象的なアドミラルティーアーチ(Admiralty Arch)の下をくぐり、その車が向かった先は英国外務省で、ポワロはそこで外務次官のジェスモンド氏(Mr Jesmond)に出迎えられるであった。外務省への出入りについては、実際の外務省の建物を使用して、撮影が行われている。

パーラメントストリートから
キングチャールズストリートへ入る場所にある検問所/通用門―
ポワロを乗せた車をこの門を通過して、英国外務省へと向かった
検問所/通用門上部(東側)の装飾
キングチャールズストリート側から見た検問所/通用門

英国外務省の正式名は「Foreign and Commonwealth Office」であるが、一般には「Foreign Office」と呼ばれている。
外務省はロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のウェストミンスター地区(Westminster)内に所在している。地下鉄ウェストミンスター駅(Westminster Tube Station)を出て西へ向かうと、国会議事堂(House of Parliament)前のパーラメントスクエア(Parliament Square)に行き当たる。パーラメントスクエアを右へ折れて、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)へと向かうパーラメントストリート(Parliament Street)を少し北上し、左手に見える最初の通りキングチャールズストリート(King Charles Street)へ入ると、その北側に外務省の建物が建っている。通りの南側にあるのは、英国大蔵省(Her Majesty's Treasury)の建物である。

ポワロを乗せた車が英国外務省の建物へ入る際に
通過した検問所/通用門

現在、外務省が入居している建物は、英国の建築家ジョージ・ギルバート・スコット(George Gilbert Scott:1811年ー1878年)が設計し、1861年から1868年にかけて建設された。
「ゴシック・リヴァイヴァル建築」の流れを組むジョージ・ギルバート・スコットは、当初「ゴシック様式」での設計を考えていたが、外相を三度務めた後、当時、首相の第2期目(1859年ー1865年)を担っていた第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル(Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston:1784年ー1865年)が「古典様式」の設計を主張したため、「イタリア様式」が採用されることとなった。
ヘンリー・ジョン・テンプルは1865年に死去したため、外務省の建設竣工を目にすることは、残念ながら、できなかった。

英国外務省が入居する建物の内部は
「オープンハウス(Open House)」時(毎年9月)に
一般公開されている

この建物には、(1)外務省(Foreign Office)、(2)インド省(India Office)、(3)植民地省(Colonial Office)と(4)内務省(Home Office)の4省が入居したが、最初の3省は1968年までに現在の「Foreign and Commonwealth Office」に統合された。

キングチャールズストリートの西端に設置されているブロンズ像

その後、スタッフの増員に伴い、非常に手狭になってきたため、1960年代に、英国の建築家で、ロイヤルフェスティバルホール(Royal Festival Hall)の設計でも知られるサー・レスリー・マーティン(Sir Leslie Martin:1908年ー2000年)による大規模な建替え計画が作成されたが、建物保存を求める市民の声に押されて、1970年代に建物は「グレードⅠ(Grade I)」の指定を受ける。その結果、建物内のスペース緩和を図るため、1978年に内務省が他の建物への移転を余儀なくされたのである。
内務省の移転後、17年間に及ぶ大改修工事が実施され、1997年に竣工し、現在に至っている。

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