2015年1月3日土曜日

ロンドン スロッグモートンストリート(Throgmorton Street)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「白面の兵士(The Blanched Soldier)」では、ボーア戦争(Anglo-Boer War:1899年ー1902年)終結直後の1903年1月のある朝、ジェイムズ・M・ドッド(James M Dod)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を相談に訪れる。ジョン・ワトスンは当時結婚しており、ホームズとは一緒に住んでいなかったため、この事件には全く関与していない。よって、非常に異例ではあるが、本作品の場合、ホームズの一人称で話が進められていく。

スロッグモートンストリートの西側から東方面に望む

自分は窓を背にして座り、訪問者には光が十分に当たる反対側の椅子に座ってもらうのが、私の習慣だった。ジェイムズ・M・ドッド氏は、どのように話を始めたらよいのか、いくらか途方に暮れているようだったが、私は彼に助け舟を出す事はしなかった。何故ならば、彼が黙っている間、私にはより長い間彼を観察する時間ができるからである。依頼人にこちらの能力を見せた方が得策と考えたので、私は彼に観察の結果を少しばかり話した。
「南アフリカからお戻りになられたのですね。」
「ええ。」彼は少し驚いて答えた。
「義勇農騎兵隊ですか?」
「その通りです。」
「ミドルセックス連隊という訳だ。」
「おっしゃる通りです。ホームズさん、あなたはまるで魔法でも使われているようだ。」
彼の唖然とした表情を見て、私は微笑んだ。
「私の部屋に精悍な紳士が入ってみえて、お顔が英国の太陽ではありえない程日焼けし、ハンカチをポケットではなく袖に入れていたとしたら、その素性を見分けるのはそれ程難しくありません。あなたは短い顎髭を生やされているから、正規兵ではなかったことが判ります。それに、あなたの髪は騎兵隊の髪型です、ミドルセックス連隊に関しては、あなたの名刺から、スロッグモートンストリートの株式仲買人の方だと判っていました。ミドルセックス連隊以外に志願できる連隊が他にありますか?」
「あなたは何でもお見通しなんですね。」

It is my habit to sit with my back to the window and to place my visitors in the opposite chair, where the light falls full upon them. Mr James M. Dodd seemed somewhat at a loss how to begin the interview. I did not attempt to help him, for his silence gave me more time for observation. I have found it wise to impress clients with a sense of power, and so I gave him some of my conclusions.
'From South Africa, sir, I perceive.'
'Yes, sir', he answered, with some surprise.
'Imperial Yeomanry, I fancy.'
'Exactly.'
'Middlesex Corps, no doubt.'
'That is so. Mr Holmes, you are wizard.'
I smiled at his bewildered expression.
'When a gentleman of virile appearance enters my room with such tan upon his face as English sun could never give, and with his handkerchief in his sleeve instead of in his pocket, it is not difficult to place him. You wear a short beard, which shows that you were not a regular. You have the cut of a riding man. As to Middlesex, your card has already shown that you are a stockbroker from Throgmorton Street. What other regiment would you join?'
'You see everything.'

右手に見えるのが、イングランド銀行の裏側ー
スロッグモートンストリートは画面の一番奥にある

ドッド氏によると、2年前の1901年1月、ボーア戦争に出征した際に親しくなったゴドフリー・エムズワース(Godfrey Emsworth)が負傷して英国に復員した後、音信不通になってしまったと言う。ドッド師がゴドフリーの父エムズワース大佐(Colonel Emsworth:クリミア戦争(Crimean War:1853年ー1856年)でヴィクトリア十字勲章を受章)へ手紙を書いて、ゴドフリーの所在を尋ねたところ、「息子は世界一周の旅に出ている。」という返事があっただけだった。これに納得できなかったドッド氏は、ゴドフリーの実家があるベッドフォード(Bedford)のタックスベリーオールドパーク(Tuxbury Old Park)へ赴き、エムズワース大佐からゴドフリーの所在を聞き出そうとするが、梨の礫であった。当日、ゴドフリーの実家に泊まることになったドッド氏が夜自分の部屋の外をみてみると、そこに幽霊のように真っ白な顔をしたゴドフリーが立っていた。ドッド氏と目が合ったゴドフリーは急いで闇の中に姿を消してしまう。翌日、ゴドフリーを捜そうとするドッド氏であったが、エムズワース大佐に屋敷から追い出されてしまったのである。

左手に見える建物は、イングランド銀行

スロッグモートンストリート(Throgmorton Street)は、ロンドンの金融街シティー(City)内に所在している。具体的に言うと、地下鉄バンク駅(Bank Tube Station)上に建つイングランド銀行(Bank of England)の裏手(北側)にある細い通りである。すぐ近くにロンドン証券取引所(London Stock Exchangeーセントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)に隣接したパタノスタースクエア(Paternoster Squareー三菱地所が再開発)へ移転済)があった関係で、昔はスロッグモートンストリートにロンドンの株式仲買人が集まっていた。この辺りも、シティーに押し寄せる不動産開発の波に抗いきれず、近代的なビルの建設が始まっている。

ロッグモートンストリートの左手でも、ビルの建替えが進んでいる

スロッグモートンストリートの名前は、テューダー(Tudor)朝時代の外交官で政治家でもあったニコラス・スロッグモートン卿(Sir Nicholas Throgmorton:1516年ー1571年)に由来している。
彼は、エドワード4世(Edward IV:1537年ー1553年<在位期間 1547年ー1553年>)の死去後、レディー・ジェーン・グレイ(Lady Jane Gray:1536年/1537年ー1554年)を女王の位につけるのに力があった人物であるが、レディー・ジェーン・グレイは1553年にイングランド女王になったものの、わずか9日間(7月10日ー7月19日)で女王の座から追われ、翌年(1554年)処刑されている。そのため、レディー・ジェーン・グレイは「9日間の女王(The Nine Days Queen)」とも呼ばれている。
レディー・ジェーン・グレイの後のメアリー1世(Mary I:1516年ー1558年<在位期間 1553年ー1558年>)に続いて女王の位についたエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年<在位期間 1558年ー1603年>)の下で、スロッグモートン卿はフランス大使やスコットランド大使等を務めたが、スコットランド女王のメアリー・ステュアート(Mary Stuart, Queen of Scots:1542年ー1587年)をエリザベス1世に代わって、イングランド女王としようとする計画に加担したため、1569年にスコットランドから召還の上、一時的に幽閉された。最終的には、裁判に付されることはなかったが、以後亡くなるまで、エリザベス1世の信任を取り戻すことは二度となかった、とのこと。

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) 

ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
メアリー・ステュアートの肖像画の葉書
(After Nicholas Hilliard / Inscribed 1578 / Oil on panel
791 mm x 902 mm) 

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