2022年7月23日土曜日

コンウォール州(Cornwall) ティンタジェル城(Tintagel Castle)

筆者が所有している株式会社 昭文社発行の「マップルマガジン イギリス」から抜粋(その1)

米国出身の推理作家であるキャロル・ブッゲ(Carole Bugge:1953年ー)が1997年に発表した「インドの星(The Star of India)」では、1894年10月のある土曜日の雨が降る午後、ジョン・H・ワトスンが、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)に住むシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。なお、この時点で、ワトスンの2番目の妻は亡くなっていたが、彼はホームズとは離れて、暮らしていたのである。

「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれたジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)がスイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)に姿を消し、そして、彼の右腕であるセバスチャン・モラン大佐(Colonel Sebastian Moran)が逮捕された後、興味を持てる事件がなく、ホームズは非常に退屈していた。ホームズのことを心配したワトスンは、彼をロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall → 2016年2月20日付ブログで紹介済)で行われるコンサートへと連れ出す。


翌朝、コンウォール州(Cornwall)に居るハドスン夫人の姉から、電報が届く。ハドスン夫人は、姉を訪れるために、コンウォール州へ出かけていたのである。ハドスン夫人の姉から届いた電報には、驚くべきことが書かれていた。「Martha (ハドスン夫人のこと)in extreme danger : Come at once.」と。


筆者が所有している株式会社 昭文社発行の「マップルマガジン イギリス」から抜粋(その2)

ハドスン夫人の姉からの電報を受けたシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は、直ぐに馬車でウォータールー駅(Waterloo Station → 2014年10月19日付ブログで紹介済)へ向かい、昼12時の列車でコンウォール州(Cornwall)へと出発した。ハドスン夫人の姉であるフローラ・キャンベル(Mrs. Flora Campbell)の家は、ティンタジェル(Tintagel)の町から2-3マイル程離れたところにあった。


ホームズとワトスンがハドスン夫人の姉の家を訪れると、彼女は、「ホームズ宛に電報を出していない。」と答えた。ハドスン夫人自身の所在を尋ねられると、「She (Martha)’s out at Tintagel.」と話した。ハドスン夫人は、ティンタジェルの町に出かけたついでに、ティンタジェル城(Tintagel Castle)の見物をしているようだ。


ティンタジェルの町へと引き返したホームズとワトスンであったが、ティンタジェル城にハドスン夫人の姿は全く見当たらなかった。ホームズがティンタジェル城に残るハドスン夫人の足跡を辿った結果、満潮が迫る海岸の洞窟の奥に、手足を縛られたハドスン夫人を発見したのである。


チャールズ皇太子の70歳の誕生日を記念して、
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2018年11月14日に発行した
6種類の記念切手の一つ(その1)


ティンタジェル城は、コンウォール州のティンタジェル沿岸部に所在し、切り立った崖の上に大西洋を見下ろすように建つ城跡である。


この辺りは、元々、ローマ人の居住地であったが、ローマ人がブリテン島を去った後の中世初期、ケルト人がやって来て、城砦を築いた。


現在残っている城は、13世紀に、プランタジネット朝第3代イングランド王であるジョン(John:1166年ー1216年 在位期間:1199年ー1216年)の次男で、プランタジネット朝第4代イングランド王であるヘンリー3生(Henry III:1207年ー1272年 在位期間:1216年ー1272年の弟である初代コンウォール伯リチャード(Richard, 1st Earl of Cornwall:1209年ー1272年)によって建てられた。初代コンウォール伯リチャードがこの地に城を建てたのは、アーサー王(King Arthur)伝説所縁の場所(=アーサー王の生地とされる場所)という理由からであったが、城自体の戦略的な価値は、全くなかった。

リチャードの後にコンウォール伯を継いだ者の中に、この城に重きを置く人物がいなかったため、州長官の管理に任された。その結果、城は次第に荒廃して、14世紀には、住居として適さない城跡となってしまった。


チャールズ皇太子の70歳の誕生日を記念して、
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2018年11月14日に発行した
6種類の記念切手の一つ(その2)


ヴィクトリア朝時代に入ると、英国内のみならず、欧州の戦記小説に大きな影響を与えたアーサー王伝説のブームが到来して、この城跡は観光地として人気が高まった。ティンタジェルの村は、以前、トレヴィナという名前であったが、この城跡をアーサー王伝説と紐付けて売り出すために、1850年に「ティンタジェル」という名前に解明された。厳密には、ティンタジェルは、沿岸の岬部分のみを指す地名である。


ティンタジェル城は、現在、チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales:1948年ー)によって所有されているが、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)により管理されている。


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