2018年9月15日土曜日

ロンドン大火(The Great Fire of London)–その2

ロンドン大火後から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その3)

1666年9月3日の月曜日、ロンドン大火(The Great Fire of London)はシティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日 付ブログで紹介済)の北部と西部へと更に拡がり、翌日の9月4日の火曜日には、シティー・オブ・ロンドンのランドマークに該るセントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral→2018年8月18日 / 8月25日 / 9月1日付ブログで紹介済)に遂に到達する。
当時、旧セントポール大聖堂(Old St. Paul’s Cathedral)は、現在の姿とは異なって、中央に高い尖塔を有していた。1561年の落雷により破壊されており、オックスフォード大学の天文学教授で、王室建築副総監(survey-general of the King’s Works)でもあったサー・クリストファー・マイケル・レン(Sir Christopher Michael Wren:1632年ー1723年)は、ロンドン大火発生前から旧セントポール大聖堂の修復計画に携わっていたが、そんな彼の目の前で、旧セントポール大聖堂は、大聖堂なら安全と逃げ込んだ市民と一緒に、ロンドン大火に焼き尽くされてしまった。

ロンドン市長(Lord Mayor of London)のサー・トマス・ブラッドワース(Sir Thomas Bloodworth:1620年ー1682年)の優柔不断さとリーダーシップ欠如が、ロンドン大火による被害を拡大する大きな要因となった一方、英国王チャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)による先導に基づき、シティー・オブ・ロンドン内の消火活動が進められた。

ロンドン大火後から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その4)

9月4日の夜により、ロンドン大火発生時から吹き荒れていた東風が収まり始めたことが幸いして、ロンドン大火発生から4日目に該る9月5日の水曜日に入り、ロンドン大火は漸く終焉へと向かったが、完全に鎮火したのは、9月6日の木曜日だった。
ロンドン大火による4日間にわたる灼熱地獄は、シティー・オブ・ロンドン内の8割以上を焼き尽くして、その被害は、13千の一般家屋、87の教会、そして、旧セントポール大聖堂等に及んだのである。

ロンドン大火の鎮火から1週間も経たない9月10日の月曜日に、サー・クリストファー・マイケル・レンは、英国王チャールズ2世に対して、シティー・オブ・ロンドンの再建案を提出して、その数日後には、チャールズ2世より「悲しむべき大火による災害に関する国王陛下の布告」が発表される。
そして、サー・クリストファー・マイケル・レンの尽力によって、1667年に再建法が制定された。再建法は、従来の街並みを取り戻すのではなく、大災害が二度と発生しない「防災都市」へとシティー・オブ・ロンドンを生まれ変わらせることを主眼とし、新築の建物は全て煉瓦造り、もしくは、石造りとされ、木造建築は禁止された。また、ロンドン大火の際の飛び火を防ぐため、主要な通りについては、建物と建物の間に十分な距離を確保することも規定された。

こうして、シティー・オブ・ロンドンは、急速な勢いで復興の道を歩み、1670年までに一般家屋の再建をほぼ完了させるという目覚ましいスピードであった。
また、ロンドン大火を受けて、1681年に世界初の火災保険がロンドンに生まれることにも繋がったのである。

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