2018年9月2日日曜日

ロンドン フロイト博物館(Freud Mseum)

マレスフィールドガーデンズの歩道から見上げたフロイト博物館

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第11作目に該る「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage→2018年8月12日 / 8月19日付ブログで紹介済)において、フランク・ドランス(Frank Dorrance)の絞殺死体が発見されたテニスコートがあるニコラス・ヤング邸は、ロンドン北西部郊外の高級住宅街ハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるという設定になっているが、ハムステッド地区内には、フロイト博物館(Freud Mseum)がある。


オーストリアのウィーンにおいて、精神医学者 / 精神分析学者 / 精神科医として活動していたジークムント・フロイト(Sigmund Freud:1856年ー1939年)は、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツによるオーストリア併合に伴うユダヤ人迫害を逃れるべく、故郷の町ウィーンを捨てて、ロンドンへ移住することを余儀なくされた。ジークムント・フロイト一家は、フランス初の女性精神分析学者であるマリー・ボナパルト(Marie Bonaparte:1882年ー1962年)の支援を受け、パリ経由で、1938年6月6日、英国へと亡命したのである。

マレスフィールドガーデンズの反対側から見た
フロイト博物館(その1)

ロンドンへやって来たジークムント・フロイトは、一時期、現在のロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のプリムローズヒル地区(Primrose Hill)内にあるエルスワーシーロード39番地(39 Elsworthy Road)の家に滞在した後、同じロンドン・カムデン区のハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるマレスフィールドガーデンズ20番地(20 Maresfield Gardens)へと移り、翌年の1939年9月23日に癌のため死去するまで、この家に居住した。

ここがフロイト博物館であることを示す看板

ジークムント・フロイトは、英国へ亡命した後も、研究を継続し、ユダヤ人は何故迫害されるのかを改めて問い直した「モーゼと一神教(Mose and Monotheism)」をこの家で完成させたのである。

ジークムント・フロイトが1938年から1939年にかけて
ここに住んでいたことを示すブループラークが、
建物の外壁に架けられている

女性精神分析学者の先駆けでもあったジークムント・フロイトの娘アンナ・フロイト(Anna Freud:1895年ー1982年)は、父親の死後も、マレスフィールドガーデンズ20番地の家に住み、児童精神分析を開拓していった。

ジークムント・フロイトの娘アンナ・フロイトが
1938年から1982年にかけて
ここに住んでいたことを示すブループラークも、
建物の外壁に架けられている

1982年10月9日にアンナ・フロイトが亡くなった後、彼女の遺志に基づき、この家は博物館へと改装され、1986年7月に「フロイト博物館」として開館した。

マレスフィールドガーデンズの反対側から見た
フロイト博物館(その2)

フロイト博物館では、玄関ホール、書斎、図書室や食堂等が一般公開されている。ジークムント・フロイトがウィーンからロンドンへと持ってくることができた自身の家具や生活調度品等も展示されている。その中でも一番の展示物は、ジークムント・フロイトが精神分析の面接中に患者を横にならせた長椅子である。また、画家のサルバドール・ダリが描いたジークムント・フロイトの肖像画も、展示コレクションに含まれている。

フロイト博物館の入口のアップ

通りを挟んだ反対側に建つマレスフィールドガーデンズ12番地(12 Maresfield Gardens)には、アンナ・フロイトセンター(Anna Freud Centre)があり、児童の精神的発達や精神療法に関する研究を行うとともに、専門家の研修を行なっている。

フロイト博物館の前に置かれているゴミ箱には、
博物館の入館チケットに該るシールが、
博物館から帰る観光客によって残されている

ロンドン以外にも、フロイト博物館は2つある。一つは、ジークムント・フロイトが出生したチェコのプジーボル(Pribor)で、もう一つは、彼が活動していたオーストリアのウィーンである。

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