2018年9月16日日曜日

ロンドン カムデンアーツセンター(Camden Arts Centre)

オークライトロードから
カムデンアーツセンターの入口を見上げたところ

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第11作目に該る「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage→2018年8月12日 / 8月19日付ブログで紹介済)において、フランク・ドランス(Frank Dorrance)の絞殺死体が発見されたテニスコートがあるニコラス・ヤング邸は、ロンドン北西部郊外の高級住宅街ハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるという設定になっているが、ハムステッド地区内には、カムデンアーツセンター(Camden Arts Centre)がある。


カムデンアーツセンターは、(1)ジュビリーライン(Jubilee Line)とメトロポリタンライン(Metropolitan Line)が停まる地下鉄フィンチリーロード駅(Finchley Road Tube Station)からノーザンライン(Northern Line)が停まる地下鉄ゴルダースグリーン駅(Golders Green Tube Station)へと向かって北西に延びるフィンチリーロード(Finchley Road)と(2)フィンチリーロードから枝分かれして、ジュビリーラインが停まる地下鉄スイスコテージ駅(Swiss Cottage Tube Station)とノーザンラインが停まる地下鉄ハムステッド駅(Hampstead Tube Station)を結ぶフィッツジョンズアベニュー(Fitzjohn’s Avenue)へと向かって北に延びるオークライトロード(Arkwright Road)が交差する北西の角に建っていて、入口はオークライトロード側に面している。

フィンチリーロードの反対側から見た
カムデンアーツセンター

カムデンアーツセンターは、英国の建築家であるアーノルド・テイラー(Arnold Taylor)によって設計され、1897年にハムステッド中央図書館(Hampstead Central Library)として開館した。開館時、後援者で、Prudential Assurance Company の副会長(Deputy Chairman)でもあったサー・ヘンリー・ハーベン(Sir Henry Harben)が出席した。


カムデンアーツセンターの入口脇にある案内板

ハムステッド中央図書館は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、ドイツ軍に夜ロンドン大空襲(1940年)や V2 ロケット攻撃(1945年)を生きのびた。

カムデンアーツセンター内にある庭園

ハムステッド中央図書館の蔵書量が増え続けた結果、地下鉄スイスコテージ駅の近くに新しく建てられた図書館へと全ての蔵書を1964年までに移管した後、1965年にハムステッドアーツセンター(Hampstead Arts Centre)へと名前を変え、ローカルコミュニティーに絵画、詩作、印刷やデザイン等を教える場所として生まれ変わった。そして、1967年に名前をハムステッドアーツセンターから今のカムデンアーツセンターへと変更した。

庭園から見たカムデンアーツセンターの建物

現在、カムデンアーツセンターは、現代美術の展覧と教育の場として機能している。

カムデンアーツセンターの建物は、グレード II の指定を受けている

カムデンアーツセンターが入る建物は、グレード II(Grade II listed building)の指定を受けていて、2004年には大規模が改修工事が行われている。

0 件のコメント:

コメントを投稿