2018年9月30日日曜日

ロンドン エルスワーシーロード39番地(39 Elsworthy Road)

アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を逃れるため、
オーストリアのウィーンから英国へと亡命したジークムント・フロイトが
マレスフィールドガーデンズ20番地へと移る前に
一時的に住んでいたエルスワーシーロード39番地の家の正面

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第11作目に該る「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage→2018年8月12日 / 8月19日付ブログで紹介済)において、フランク・ドランス(Frank Dorrance)の絞殺死体が発見されたテニスコートがあるニコラス・ヤング邸は、ロンドン北西部郊外の高級住宅街ハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるという設定になっているが、ハムステッド地区内には、オーストリアから英国へ亡命したジークムント・フロイト(Sigmund Freud:1856年ー1939年)が住んでいたエルスワーシーロード39番地(39 Elsworthy Road)の家がある。


オーストリアのウィーンにおいて、精神医学者 / 精神分析学者 / 精神科医として活動していたジークムント・フロイトは、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツによるオーストリア併合に伴うユダヤ人迫害を逃れるべく、故郷の町ウィーンを捨てて、ロンドンへ移住することを余儀なくされた。ジークムント・フロイト一家は、フランス初の女性精神分析学者であるマリー・ボナパルト(Marie Bonaparte:1882年ー1962年)の支援を受け、パリ経由で、1938年6月6日、英国へと亡命したのである。


ロンドンへやって来たジークムント・フロイトは、一時期、現在のロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のプリムローズヒル地区(Primrose Hill)内にあるエルスワーシーロード39番地の家に滞在した後、同じロンドン・カムデン区のハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるマレスフィールドガーデンズ20番地(20 Maresfield Gardens→2018年9月2日付ブログで紹介済)へと移り、翌年の1939年9月23日に癌のため死去するまで、この家に居住した。


ロンドン最大の公園であるリージェンツパーク(Regent’s Park→2016年11月19日付ブログで紹介済)の外周(北側)を通るプリンス アルバート ロード(Prince Albert Road)から地下鉄スイスコテージ駅(Swiss Cottage Tube Station)へと向かい、アベニューロード(Avenue Road)を北上して、右手に見えるエルスワーシーロード(Elsworthy Road)へと右折する。途中、エルスワーシーロードは、エルスワーシーロード(右側)とワダムガーデンズ(Wadham Gardensー左側)の二手に分かれるが、右側のエルスワーシーロードをそのまま直進し、エルスワーシーロードがワダムガーデンズと再度合流する少し手前の右手に、エルスワーシーロード39番地が建っている。


エルスワーシーロードは、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)との区界に近いロンドン・カムデン区のプリムローズヒル地区内にあり、シティー・オブ・ウェストミンスター区に属する高級住宅街であるセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood→2014年8月17日付ブログで紹介済)に接しているため、エルスワーシーロードの辺りも、高級住宅街となっている。

エルスワーシーロード39番地の家の前に立って、
エルスワーシーロードを西側から東側へと見たところ

また、プリンス アルバート ロードを挟んで、リージェンツパークと隣り合っているプリムローズヒル(Primrose Hill)がエルスワーシーロードの南側にあるため、日中でも非常に閑静な場所で、人通りは少ない。ただ、混雑する大通りを避けるための抜け道に使う人が居て、車の往来はやや多い。

0 件のコメント:

コメントを投稿