2018年8月27日月曜日

ロンドン ジャック・ストローの砦(Jack Straw’s Castle)

「ジャック・ストローの砦」の建物全景

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第11作目に該る「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage→2018年8月12日 / 8月19日付ブログで紹介済)において、フランク・ドランス(Frank Dorrance)の絞殺死体が発見されたテニスコートがあるニコラス・ヤング邸は、ロンドン北西部郊外の高級住宅街ハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるという設定になっているが、ハムステッド地区内には、「ジャック・ストローの砦(Jack Straw’s Castle)」と呼ばれる建物がある。


ノーザンライン(Northern Line)が通る地下鉄ハムステッド駅(Hampstead Tube Station)の前を延びるヒースストリート(Heath Street)の坂を北上して、しばらく進むと、ヒースストリートは、地下鉄ゴルダースグリーン駅(Golders Green Tube Station)へと向かうノースエンドウェイ(North End Way)とハイゲート地区(Highgate)へと向かうスパニアーズロード(Spaniards Road)の二手に分かれる。ヒースストリートが二手に分かれるところの、ノースエンドウェイの左手沿いに、「ジャック・ストローの砦」は建っている。

ヒースストリートの北端から見た
「ジャック・ストローの砦」

1381年にイングランドのケント州(Kent)やエセックス州(Essex)を中心にして全国的規模で起きた農民反乱(Peasant’s Revolt)の際、エセックス州の農民を率いてロンドンに入った指導者ジャック・ストロー(Jack Straw)がこの地に住んでいたと言われており、ここにパブが建てられた時、それに因んで、「ジャック・ストローの砦」と呼ばれるようになった。

現在、「ジャック・ストローの砦」は、パブではなく、高級フラットへと改装されてしまったが、
パブとして営業していた際の「JACK STRAWS CASTLE」という文字が建物外壁に残されている

そのパブは、第二次世界大戦(1939年ー1945年)の際、ドイツ軍が行ったロンドン大空襲(1940年ー1941年)により破壊されてしまった。
その後、1963年に英国の建築家であるレイモンド・エリス(Raymond Erith:1904年ー1973年)が現在の建物を再建している。ちなみに、レイモンド・エリスは、1958年に英国首相官邸を含むダウニングストリート10番地 / 11番地 / 12番地を建て替えたことでも有名である。

地下鉄ゴルダースグリーン駅方面へと至る
ノースエンドウェイ–
画面左手に「ジャック・ストローの砦」の建物外壁一部が見える

レイモンド・エリスによる再建後、「ジャック・ストローの砦」は、以前のようにパブとして営業を続けたが、今から数年前にジムが入った高級フラットに改装されてしまった。現在も、建物の外壁に「JACK STRAWS CASTLE」の文字は残っているものの、パブの営業はしていない。

ノースエンドウェイの反対側から見た
「ジャック・ストローの砦」

なお、1381年の農民反乱の際、最終的には、別の農民反乱指導者が英国王リチャード2世との会見を果たしたのに対して、ジャック・ストローの働きは曖昧だったため、現在、「ジャック・ストロー」と言うと、「つまらない人物」を意味する、とのこと。

0 件のコメント:

コメントを投稿