2018年8月25日土曜日

ロンドン セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)–その2

カーターレーン(Carter Lane)から見たセントポール大聖堂の大ドームと建物側面

セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)は、7世紀初めに教会として建てられた後、次のような変遷を辿る。
・1代目ー7世紀初めに建設(木造)→その後、焼失
・2代目ー7世紀後半に再建(石造)→10世紀後半、ヴァイキングによって焼き払われた
・3代目ーサクソン人によって再建→1087年に焼失

ピーターズヒル(Peter’s Hill)から見上げた
セントポール大聖堂の大ドーム

1066年のヘイスティングスの戦い(Battle of Hastings)を経て、イングランドを征服し、ノルマン朝を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年)により、ロンドン主教に任ぜられたモーリスが再建を始め、約150年を経た13世紀中頃に、旧セントポール大聖堂(Old St. Paul’s Cathedral)が遂に完成。

セントポール大聖堂内の庭園(北東部分)にある
聖パウロ像(その1)
セントポール大聖堂内の庭園(北東部分)にある聖パウロ像(その2)

奥行き:約200m / 幅:約100mという大規模な大きさを誇る旧セントポール大聖堂は、建物中央に高さ:約160mの尖塔を有し、シティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)のシンボルとなっていたが、1447年に落雷によって尖塔が破壊される。その後、尖塔は修復されたものの、1561年に再び落雷があり、尖塔を含む屋根全体が火災により大きな被害を蒙ってしまった。

セントポール大聖堂内の庭園(南東部分)に設置されているオブジェ

スペインの無敵艦隊を打ち破り、イングランド繁栄の基礎を築いたデューダー朝第5代にして、最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年ー1603年)は復旧に努めたが、資金難のため、屋根の復旧のみに終わってしまった。

セントポールズチャーチヤード
(St. Paul's Churchyard→2015年7月26日付ブログで紹介済)から見た
セントポール大聖堂の建物背面

17世紀に入ると、旧セントポール大聖堂の再建計画が持ち上がり、英国の建築家であるイニゴ・ジョーンズ(Inigo Jones:1573年ー1652年)やクリストファー・マイケル・レン(Christopher Michael Wren:1632年ー1723年)等が再建案をまとめている最中、1666年に発生したロンドン大火(The Great Fire of London)によって、旧セントポール大聖堂は完全に焼失してしまったのである。

英国の建築家であるクリストファー・マイケル・レンが完成させた
セントポール大聖堂の大ドーム

英国の建築家であるクリストファー・マイケル・レンが完成させた
セントポール大聖堂の建物正面と2つの塔

その後、クリストファー・マイケル・レンが、王政復古期ステュアート朝の国王チャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)の命により、1675年から旧セントポール大聖堂の再建に着手した。35年の歳月をかけて、クリストファー・マイケル・レンは、1710年にバロック建築を取り入れた新セントポール大聖堂を完成させた。新セントポール大聖堂は、奥行き:約160m / 幅:約80mで、中央に高さ:約110mの大ドームを、そして、西側正面に2つの塔を有する特徴を持っている。

セントポール大聖堂の正面前の広場に設置されている
アン女王像(その1)

セントポール大聖堂の正面前の広場に設置されている
アン女王像(その2)

西側正面前の広場には、新セントポール大聖堂が竣工した1710年当時の君主で、最初のグレートブリテン王国君主となったアン女王(Ann Stuart:1665年ー1714年 在位期間:1702年ー1714年)の像が設置され、現在、セントポール大聖堂を訪れる観光客による撮影スポットとなっている。

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