2018年8月12日日曜日

ジョン・ディクスン・カー作「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage by John Dickson Carr)–その1

東京創元社が発行する創元推理文庫「テニスコートの殺人」の表紙−
カバーデザイン:折原 若緒氏
  カバーフォーマット:本山 木犀氏
カバーイラスト:榊原 一樹氏

「テニスコートの殺人(The Problem of the Wire Cage)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第11作目に該る。米国では、ハーパー社(Harper)から1939年に、英国では、ヘイミッシュ・ハミルトン社(Hamish Hamilton)から翌年の1940年に出版されている。

創元推理文庫「テニスコートの殺人」の旧訳版の表紙
(カバー装画: 山田 雅史氏)

大学の同窓で、兄弟同然だったボブ・ホワイト、ジェリー・ノークスとニコラス・ヤングの三人は、その後、数奇な人生を歩む。
大学卒業後、ジェリー・ノークスとニコラス・ヤングの二人は、経済的に成功をおさめたが、唯一出世しなかったボブ・ホワイトは、ニューヨークで放蕩の限りを尽くして、ピストル自殺を遂げてしまう。父親のボブをピストル自殺で、その後、母親のネリーをアルコールの過剰摂取で失った娘のブレンダ・ホワイト(Brenda White)は、ボブ・ホワイトの友人ニコラス・ヤングが後見人となって、引き取られる。
一方、金融街で並外れた出世をしたジェリー・ノークスは、甥のフランク・ドランス(Frank Dorrance)を養子にした。昨年の11月、当時猛威を奮っていた流感に罹って、亡くなる直前に、ジェリー・ノークスは遺言書を書き換えた。彼が書き換えた遺言書の内容とは、彼が養子にした甥のフランク・ドランスとニコラス・ヤングが後見人となったボブ・ホワイトの娘のブレンダ・ホワイトが将来結婚した場合、二人は共同で5万ポンドを相続できるというものだった。
そのため、27歳のブレンダ・ホワイトは、5歳年下のフランク・ドランスと婚約することになったが、残念ながら、相手のフランク・ドランスは尊大かつ無礼な若者で、ブレンダ・ホワイトと結婚することで得られる5万ポンドというお金にしか興味がない問題児であった。
そして、そんな最中、不可解な事件が発生する。

ある日の午後、ハムステッド地区(Hampstead)にあるニコラス・ヤング邸内にあるテニスコートでは、ブレンダ・ホワイトとフランク・ドランス対キティ・バンクロフト(ニコラス・ヤング邸の近所に住む30代初めの寡婦)とヒュー・ローランド(ローランド&ガーデスリーヴ法律事務所に勤める事務弁護士)の混合ダブルスの試合が行われていた。以前よりブレンダ・ホワイトに思いを寄せるヒュー・ローランドは、彼女に対して、フランク・ドランスとの婚約を解消するよう、懇願する。ブレンダ・ホワイトは、ヒュー・ローランドへの好意を示すものの、後見人であるニコラス・ヤングに世話になっている手前、フランク・ドランスとの婚約解消について、彼女の態度はハッキリしなかった。

午後6時過ぎ、日没と突然の雷雨のため、彼らはテニスを途中で中断せざるを得なかった。彼らが去った後のテニスコートにおいて、謎の殺人事件が起きたのである。

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