2018年8月19日日曜日

ジョン・ディクスン・カー作「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage by John Dickson Carr)–その2

ハムステッド地区ではないが、
ハムステッド地区とウェスト ハムステッド地区(West Hampstead)の中間辺りにある
Alvanley Gardens 沿いのテニスコート

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説「テニスコートの殺人」The Problem of the Wire Cage)」において、謎の殺人事件が発生する。

ある日の午後、ハムステッド地区(Hampstead)にあるニコラス・ヤング邸内にあるテニスコートでは、ブレンダ・ホワイト(Brenda Whiteーニコラス・ヤングが後見人となった女性)とフランク・ドランス(Frank Dorranceージェリー・ノークスの養子)対キティ・バンクロフト(ニコラス・ヤング邸の近所に住む30代初めの寡婦)とヒュー・ローランド(ローランド&ガーデスリーヴ法律事務所に勤める事務弁護士)の混合ダブルスの試合が行われていたが、午後6時過ぎ、日没と突然の雷雨のため、彼らはテニスを途中で中断せざるを得なかった。
彼ら4人が散会し、雷雨が通り過ぎた後、テニスコートの中央付近に、問題児のフランク・ドランスが仰向けになって倒れているのが発見される。彼が巻いていた絹のスカーフが首にきつく食い込んでいた。彼は、何者かに絞殺されたのである。

彼の絞殺死体を発見したのは、彼の婚約者であるブレンダ・ホワイトだった。非常に不思議なことには、雷雨でぬかるんだテニスコートの上には、フランク・ドランスの足跡が片道分(コート外→コート中央付近)と、ブレンダ・ホワイトの足跡が往復分(コート外→コート中央付近+コート中央付近→コート外)が残されているだけで、他の足跡は何もなかったのである。
その場に、ブレンダ・ホワイトに思いを寄せるヒュー・ローランドが通りかかる。彼女の説明によると、テニスコートの上に倒れているフランク・ドランスを見つけて、慌てて彼に駆け寄ったが、テニスコートの上には、彼以外の足跡はなかった、とのこと。そして、彼女は、「断じて、自分は彼を殺していない。」と主張する。しかし、ブレンダ・ホワイトは、フランク・ドランスの死によって、単独で5万ポンドという莫大な遺産を相続できる立場にあるため、このままでは、彼女は彼を殺害した容疑者として、真っ先に疑われることは間違いなかった。
なんとか彼女を窮地から救おうとするヒュー・ローランドは、いろいろと画策を施して、テニスコートの上に残っている足跡をブレンダ・ホワイトのものではないように見せかけた。そんな二人の前に立ちふさがったのが、ニコラス・ヤング邸の近所に住む名探偵のギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)であった。

ブレンダ・ホワイトが、テニスコートの中央付近に倒れているフランク・ドランスの絞殺死体に近づかなければ、これは、「足跡のない殺人」というミステリーファン垂涎の不可能犯罪であったが、彼女が死体が近づいてしまったために、探偵側から見ると、ごく普通の「足跡のある殺人」に変わってしまった。名探偵ギディオン・フェル博士としては、まず最初に、ヒュー・ローランドとブレンダ・ホワイトの二人が行なった偽装工作を見抜いて、ごく普通の「足跡のある殺人」という表面を取り除かなければならない。そして、ギディオン・フェル博士は、その内側にある「足跡のない殺人」という不可能犯罪をも見抜いて、本当の真犯人に辿り着く必要があるという二段構えの謎が、ジョン・ディクスン・カーから提示されるのである。

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