2018年2月11日日曜日

ロンドン ミルバンク刑務所(Millbank Penitentiary)-その1

ミルバンク刑務所の跡地に建つテイト・ブリテン美術館(Tate Britain)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。

元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。
彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatreー2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。


ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。

テイト・ブリテン美術館前のミルバンク通り(Millbank)(その1)

しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。
ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane→2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。

テイト・ブリテン美術館前のミルバンク通り(その2)

ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham→2017年12月2日付ブログで紹介済)、ブリクストン地区(Brixton→2017年12月3日付ブログで紹介済)、キャンバーウェル地区(Camberwell→2017年12月9日付ブログで紹介済)、オヴァールクリケット場(Oval)を抜けて、ケニントンレーン(Kennington Lane→2017年12月16日付ブログで紹介済)へと達した。そして、彼らは更にボンドストリート(Bond Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)、マイルズストリート(Miles Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)やナイツプレイス(Knight’s Place→2017年12月23日付ブログで紹介済)を通って、ナインエルムズ地区(Nine Elms→2017年12月30日付ブログと2018年1月6日付ブログで紹介済)までやって来たが、ブロデリック&ネルソンの材木置き場という間違った場所に辿り着いてしまった。どうやら、犬のトビーは、どこかの地点から違うクレオソートの臭いを辿ってしまったようだ。


二人はトビーをクレオソートの臭いの跡が二つの方向に分かれていたナイツプレイスへと戻し、犯人達の跡を再度辿らせた。そして、彼らはベルモントプレイス(Belmon Place→2018年1月13日付ブログで紹介済)とプリンスズストリート(Prince’s Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)を抜けて、ブロードストリート(Broad Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)の終点で、テムズ河岸に出るが、そこは船着き場で、どうやら犯人達はここで船に乗って、警察の追跡をまこうとしたようだ。

ミルバンク通り沿いに建つあるフラットの角に設置されている
バレエダンサーをモデルにしたブロンズ像(その1)

「新聞に広告を出して、(オーロラ号が停泊している)波止場主に関する情報を尋ねようか?」
「それは良くないな!犯人達は追っ手が迫っていることに気付いて、国外へ逃亡してしまう。現状でも、彼らは十分逃げ出しかねないが、自分達が完全に安全だと思っている限りは、決して急がないだろう。アセルニー・ジョーンズの馬力は、僕達にとって非常に好都合だ。というのも、この事件に対する彼の見解は、間違いなく新聞に載るからさ。そして、犯人達は、誰もが皆、間違った手掛かりを追っていると考えるからね。」
「それじゃ、私達はどうするんだい?」と、ミルバンク刑務所近くに上陸した時、私はホームズに尋ねた。


‘Could we advertise, then, asking for information from wharfingers?’
‘Worse and worse! Our men would know that the chase was hot at their heels, and they would be off out of the country. As it is, they are likely enough to leave, but as long as they think they are perfectly safe. They will be in no hurry. Jones’s energy will be of use to us there, for his view of the case is sure to push itself into the daily press, and the runaways will think that everyone is off on the wrong scent.’
‘What are we to do, then?’ I asked, as we landed near Millbank Penitentiary.

ミルバンク通り沿いに建つあるフラットの角に設置されている
バレエダンサーをモデルにしたブロンズ像(その2)

ホームズとワトスンの二人がテムズ河(River Thames)南岸から北岸へと渡し船で渡り、上陸した近くに建っていたミルバンク刑務所(Millbank Penitentiary)は、現在の住所表記上、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のピムリコ地区(Pimlico)内にあった監獄で、1816年から1890年まで運営された。元々は、英国の国立監獄(National Penitentiary)として始まったが、後にオーストラリア等への流刑者が一時的に収容される監獄として機能した。

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