2018年2月4日日曜日

ロンドン ランベス橋(Lambeth Bridge)

テムズ河に架かるランベス橋−
右側がテムズ河北岸(シティー・オブ・ウェストミンスター区のウェストミンスター地区)で、
左側がテムズ河南岸(ロンドン・ランベス区のランベス地区)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。


元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。

生憎と、雨模様の天気のため、テムズ河は増水している

彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatreー2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。

テムズ河の増水のため、
ランベス橋の下を通過できない船舶は、テムズ河上に停泊している

ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。


しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。

テムズ河の増水のため、
小振りな船舶のみがランベス橋の下を通過できる

ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane→2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。


ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham→2017年12月2日付ブログで紹介済)、ブリクストン地区(Brixton→2017年12月3日付ブログで紹介済)、キャンバーウェル地区(Camberwell→2017年12月9日付ブログで紹介済)、オヴァールクリケット場(Oval)を抜けて、ケニントンレーン(Kennington Lane→2017年12月16日付ブログで紹介済)へと達した。そして、彼らは更にボンドストリート(Bond Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)、マイルズストリート(Miles Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)やナイツプレイス(Knight’s Place→2017年12月23日付ブログで紹介済)を通って、ナインエルムズ地区(Nine Elms→2017年12月30日付ブログと2018年1月6日付ブログで紹介済)までやって来たが、ブロデリック&ネルソンの材木置き場という間違った場所に辿り着いてしまった。どうやら、犬のトビーは、どこかの地点から違うクレオソートの臭いを辿ってしまったようだ。


二人はトビーをクレオソートの臭いの跡が二つの方向に分かれていたナイツプレイスへと戻し、犯人達の跡を再度辿らせた。そして、彼らはベルモントプレイス(Belmon Place→2018年1月13日付ブログで紹介済)とプリンスズストリート(Prince’s Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)を抜けて、ブロードストリート(Broad Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)の終点で、テムズ河岸に出るが、そこは船着き場で、どうやら犯人達はここで船に乗って、警察の追跡をまこうとしたようだ。

ランベス橋のテムズ河北岸部分(その1)

私達が渡し船の座席に座る際、「あの手の人達に関して大事なことは、」と、ホームズは言った。「彼らの情報がほんのちょっとでも重要かもしれないと、決して思わせないことだ。もしそう思わせたら、彼らは直ぐに牡蠣のように口をつぐんでしまう。彼らが言うことをしぶしぶ聞いてあげるふりをすれば、必要な情報は大抵聞き出せるのさ。」
「よく判ったよ。」と、私は言った。
「それでは、これからどうすれば良いと思うかい?」
「私なら、これから船を調達して、オーロラ号の跡を追って、テムズ河を下るな。」
「ワトスン、それは途方もなく大変な仕事になるぞ。オーロラ号が、こことグリニッジの間で、テムズ河の両側のどの船着き場に停泊しておるのか判らない。あの橋から下流には、浮き桟橋の迷路が何マイルにも渡っている。もし君一人でオーロラ号を捜そうとしたら、何日かかるのか判らないよ。」
「それじゃ、スコットランドヤードに頼もう。」
「駄目だ。最終局面になるまでは、アセルニー・ジョーンズをおそらく呼ばない。彼は悪い奴ではないから、立場上、彼の評判が悪くなるようなことはしたくないな。しかし、ここまで来た以上は、僕は自分自身でやり遂げたいという気持ちなんだ。」

ランベス橋のテムズ河北岸部分(その2)

’The main thing with people of that sort,’ said Holmes, as we sat in the sheet of the wherry. ’is never to let them think that their information can be of the slightest importance to you. If you do, they will instantly shut up like an oyster. If you listen to them under protest, as it were, you are very likely to get what you want.’
‘Our course now seems pretty clear,’ said I.
‘What would you do, then?’
‘I would engage a launch and go down the river on the track of the Aurora.’
‘My dear fellow, it would be a colossal task. She may have touched at any wharf on either side of the stream here and Greenwich. Below the bridge there is a perfect labyrinth of landing-places for miles. It would take you days and days to exhaust them, if you set about it alone!’
‘Employ the police, then.’
‘No, I shall probably call Athelney Jones at the last moment. He is not a bad fellow, and I should not like to do anything which would injure him professionally. But I have a fancy for working it out myself, now that we have gone so far.’

テムズ河北岸から、テムズ河下流を望む
テムズ河北岸から、ランベス橋を見たところ

テムズ河(River Thames)を横切る渡し船の上で、ワトスンと話すホームズが「あの橋の下流には、(Below the bridge)…」と言及した「あの橋」とは、ランベス橋(Lambeth Bridge)のことかと思われる。
ランベス橋は、テムズ河(River Thames)の北岸にあるロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のウェストミンスター地区(Westminster)とテムズ河南岸にあるロンドン・ランベス区(London Boorugh of Lambeth)のランベス地区(Lambeth)を繋ぐ橋である。

ランベス橋から、テムズ河上流方面(南岸)のビル群を望む
ランベス橋から、テムズ河下流方面(南岸)を望む−
画面奥に、ロンドン・アイが見える

ランベス橋の上流には、ヴォクスホール橋(Vauxhall Bridge→2017年9月16日付ブログで紹介済)が、また、ランベス橋の下流には、ウェストミンスター橋(Westminster Bridge)がテムズ河に架かっている。
テムズ河の南岸から渡し船で川を渡った後、ホームズとワトスンの二人は、テムズ河北岸にあるミルバンク刑務所(Millbank Penitentiary→来週紹介予定)の近くに上陸したと、コナン・ドイルの原作上、記されている。ミルバンク刑務所は現在残っていないが、ホームズ達が活躍したヴィクトリア朝時代、同建物はヴォクスホール橋とランベス橋に挟まれたテムズ河の北岸に建っていた。ということは、渡し船でテムズ河を渡るホームズがワトスンに対して発した「あの橋」とは、当然、自分達が乗っている渡し船よりも下流に架かっている橋、即ち、ランベス橋のことを指していることになる。

2012年のロンドンオリンピック / パラリンピック時に
ランベス橋のテムズ河北岸側に設置されたマスコットのウェンロック像の一つ
A - Z Map Wenlock (その1)

最初のランベス橋は、英国の技師ピーター・ウィリアム・バーロー(Peter William Barlow:1809年ー1885年)によって設計され、1860年の国会承認を経て、建設が開始。1862年11月10日に、ランベス橋は有料橋(toll bridge)として開通を迎えた。
1879年には有料橋ではなくなったものの、橋の腐食が進み、1910年に閉鎖されてしまった。
「四つの署名」事件が発生したのは1888年なので、テムズ河を渡る渡し船の上でホームズ達が見たランベス橋は、初代のものである。

2012年のロンドンオリンピック / パラリンピック時に
ランベス橋のテムズ河北岸側に設置されたマスコットのウェンロック像の一つ
A - Z Map Wenlock (その2)−
右腰部分にランベス橋が描かれている

今もテムズ河に架かる2代目の橋は、英国の技師サー・ジョージ・ウィリアム・ハンフリーズ(Sir George William Humphreys:1863年ー1945年)、英国の建築家サー・レジナルド・セオドア・ブルームフィールド(Sir Reginald Theodore Blomfield:1856年ー1942年)、同じく英国の建築家ジョージ・トッパム・フォレスト(George Topham Forrest:1872年ー1945年)によって設計され、建設工事が開始。そして、1932年7月19日、英国王のジョージ5世(George V:1865年ー1936年 在位期間:1910年ー1936年)の出席の下、開通を迎えている。

お天気が良い時のテムズ河

2008年に、ランベス橋はグレードⅡ(Grade II listed)の指定を受け、保存対象の建造物となっている。

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