2018年2月10日土曜日

イアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming)−その2

イアン・ランカスター・フレミングが住んでいた家が、
シティー・オブ・ウェストミンスター区のベルグラヴィア地区内にある

第二次世界大戦(1939年ー1945年)の終戦に伴い退役したイアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming:1908年ー1964年)は、ジャマイカに移住して、第二次世界大戦中に指揮を執った「ゴールデンアイ作戦(Operation Goldeneye)」(1941年ー1942年)に因んで名付けた別荘「ゴールデンアイ(Goldeneye)」に居住。


彼は、第二次世界大戦中、英国海軍情報部(Naval Intelligence Division)の諜報員として活動した経験を基に、1952年2月からジェイムズ・ボンド(James Bond → 2018年1月28日付ブログで紹介済)を主人公としたスパイ小説の執筆を始め、1953年4月にシリーズ第1作となる長編「カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)」を発表した。以降、ジェイムズ・ボンドシリーズを11作発表し、第12作目となる「黄金の銃を持つ男(The Man With the Golden Gun)」の校正中の1964年8月に、彼は心臓麻痺で死去、56歳だった。「黄金の銃を持つ男」は、1965年に発表され、これが彼の遺作となったのである。

イーバリーストレート22番地の建物の外壁(左側)に、
ジェイムズ・ボンドを創出した
イアン・ランカスター・フレミングがここに住んでいたことを示す
ブループラークが架けられている

ジェイムズ・ボンド像には、作者であるイアン・フレミングが相当投影されている。
イアン・フレミングはスコットランド系の家系であり、ジェイムズ・ボンドの父親はスコットランド人である。また、イアン・フレミングは大変な美食家出、若い頃から心臓血管の疾患を抱えていて、ジェイムズ・ボンドも、美食家のため、不健康という設定で、尿酸値過多、肝疾患、リウマチ、高血圧や頭痛等を患っており、医者からは「長生きできない」と忠告される等、共通点は多い。
ただし、イアン・フレミングがジェイムズ・ボンドと大きく違うところは、イアン・フレミングの場合、英国海軍情報部勤務ではあったものの、デスクワークが彼の仕事の主体であって、ジェイムズ・ボンドのように、秘密の任務を帯びて、海外の敵地に潜入するような立場にはなかったのである。

ブループラークが架けられている
イーバリーストリート22番地の建物外壁(左側)を
下から見上げたところ

イアン・フレミングが住んでいたロンドン市内の自宅がシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のベルグラヴィア地区(Belgravia)内にあり、イーバリーストリート(Ebury Street)の22番地の建物が、それである。正確な住所は、「22 Ebury Street, Belgravia, London SW1W 8LW」である。

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