2017年7月23日日曜日

ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill)ーその1

パーラメントスクエア(Parliament Square)内に建つウィンストン・チャーチルのブロンズ像(その1)

アガサ・クリスティー作「複数の時計(The Clocks)」(1963年)は、エルキュール・ポワロシリーズの長編で、今回、ポワロは殺人事件の現場へは赴かず、また、殺人事件の容疑者や証人への尋問も直接は行わないで、ロンドンにある自分のフラットに居ながらにして(=完全な安楽椅子探偵として)、事件の謎を解決するのである。

ウィンストン・チャーチルのブロンズ像(その2)

キャサリン・マーティンデール(Miss Katherine Martindale)が所長を勤めるキャヴェンディッシュ秘書紹介所(Cavendish Secretarial Bureau)から派遣された速記タイピストのシーラ・ウェッブ(Sheila Webb)は、ウィルブラームクレッセント通り19番地(19 Wilbraham Crescent)へと急いでいた。シーラ・ウェッブが電話で指示された部屋(居間)へ入ると、彼女はそこで身なりの立派な男性の死体を発見する。男性の死体の周囲には、6つの時計が置かれており、そのうちの4つが何故か午後4時13分を指していた。鳩時計が午後3時を告げた時、ウィルブラームクレッセント19番地の住人で、目の不自由な女教師ミリセント・ペブマーシュ(Miss Millicent Pebmarsh)が帰宅する。自宅内の異変を感じたミリセント・ペブマーシュが男性の死体へと近づこうとした際、シーラ・ウェッブは悲鳴を上げながら、表へと飛び出した。そして、彼女は、ちょうどそこに通りかかった青年コリン・ラム(Colin Lamb)の腕の中に飛び込むことになった。
実は、コリン・ラム青年は、警察の公安部員(Special Branch agent)で、何者かに殺された同僚のポケット内にあったメモ用紙に書かれていた「M」という文字、「61」という数字、そして、「三日月」の絵から、ウィルブラームクレッセント19番地が何か関係して入るものと考え、付近を調査していたのである。「M」を逆さまにすると、「W」になり、「ウィルブラーム」の頭文字になる。「三日月」は「クレッセント」であり、「61」を逆さまにすると、「19」となる。3つを繋げると、「ウィルブラームクレッセント通り19番地」を意味する。

ビッグベン(Big Ben)ーその1

クローディン警察署のディック・ハードキャッスル警部(Inspector Dick Hardcastle)が本事件を担当することになった。
シーラ・ウェッブは、ミリセント・ペブマーシュの家へ今までに一度も行ったことがないと言う。また、ミリセント・ペブマーシュは、キャヴェンディッシュ秘書紹介所に対して、シーラ・ウェッブを名指しで仕事を依頼する電話をかけた覚えはないと答える。更に、シーラ・ウェッブとミリセント・ペブマーシュの二人は、ウィルブラームクレッセント通り19番地の居間で死体となって発見された男性について、全く覚えがないと証言するのであった。
ミリセント・ペブマーシュの居間においてキッチンナイフで刺されて見つかった身元不明の死体は「R.・H・カリイ(R. H. Curry)」とされたが、スコットランドヤードの捜査の結果、全くの偽名であることが判明し、身元不明へと逆戻りする。彼が目の不自由な老婦人の居間で刺殺される理由について、スコットランドヤードも、そして、コリン・ラムも、皆目見当がつかなかった。途方に暮れたコリン・ラムは、ポワロに助けを求める。年若き友人からの頼みを受けて、ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を解き明かす。

ウィンストン・チャーチルのブロンズ像(その3)

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie’s Poirot」の「複数の時計」(2011年)では、アガサ・クリスティーの原作とは異なり、ウィルブラームクレッセント62番地の住人がラムジィ夫妻(Mr and Mrs Ramsay)と息子2人から(フランスの武器製造会社と取引がある会社に勤める)クリストファー・マバット(Christopher Mabbutt)と娘2人に変更された。
時代背景についても、アガサ・クリスティーの原作では、第二次世界大戦(1939年ー1945年)後の米ソ冷戦状態をベースにしているが、TV版の場合、他のシリーズ作品と同様に、第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦の間、それも、第二次世界大戦開戦間近という設定が行われている。そのため、英国の仮想敵国を原作のソビエト連邦からアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツへと変更している。
そして、物語のサブプロットとして、クリストファー・マバットがドイツ側に英国の機密情報を渡すスパイの一人であることが物語の終盤に判明し、MI6 の秘密情報部員(intelligence officer)であるコリン・レイス大尉(Liteunant Colin Raceーアガサ・クリスティーの原作では、警察の公安部員であるコリン・ラム)が率いるチームによって、クリストファー・マバットは会社を出てフランスへと赴く直前に逮捕される。コリン・レイス大尉による取り調べを受ける中、クリストファー・マバットは、次のように述べる。

ビッグベン(Big Ben)ーその2

「我々は英国の愛国者だからこそ、ヒトラーに英国の機密情報を渡すのだ。もしチェンバレンの宥和政策が続かず、(主戦派の)チャーチルのような輩が権力に就いた場合、我々は前の対戦(=第一次世界大戦)より100倍もひどい戦争に引き込まれることになるからだ。」

‘We are patriots who pass information to Hitler, because if Chamberlain’s policy of appeasement doesn’t hold and someone like Churchill gets his hands on power, we will be dragged into a war 100 times worse than the last one.’

ウィンストン・チャーチルのブロンズ像(その4)

クリストファー・マバットが言うチャーチルとは、英国の政治家、軍人、従軍記者、作家であるウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill:1874年ー1965年)のことである。おそらく、英国で最も有名な人物は、コナン・ドイルが創り出したシャーロック・ホームズであるが、実在の人物だけに限ると、ウィンストン・チャーチルがその人に該ると思われる。

ビッグベン(Big Ben)ーその3

ウィンストン・チャーチルは、1874年、保守党の政治家でもあった第7代マールバラ公爵ジョン・ウィンストン・スペンサー=チャーチル(John Winston Spencer-Churchill, 7th Duke of Marlborough:1822年ー1883年)を祖父に、また、同じく保守党の政治家だったランドルフ・ヘンリー・スペンサー=チャーチル卿(Lord Randolph Henry Spencer-Churchill:1849年ー1895年→卿と呼ばれているが、三男のため、身分は平民)を父にして出生。
サンドハースト王立陸軍士官学校で軽騎兵連隊に所属して、第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年ー1902年)等に従軍。
1900年の総選挙において、オールダム選挙区から保守党候補として立候補し、初当選するが、植民地大臣(1895年ー1903年)だったジョーゼフ・チェンバレン(Joseph Chamberlain:1836年ー1914年)が唱える保護貿易主義に対して、自由貿易主義者のウィンストン・チャーチルは反発して、1904年に保守党から自由党へ移籍。
移籍した自由党において、ウィンストン・チャーチルは通商大臣や内務大臣を務め、失業保険制度等の社会改良政策に尽力するものの、暴動やストライキ運動に直面することになり、社会主義への警戒を強める。第一次世界大戦(1914年ー1918年)前から海軍大臣(1911年ー1915年)を務め、対戦時には戦争を指導するが、アントワープ等で惨敗を喫して辞任。その後も、軍需大臣(1917年ー1919年)、航空大臣(1919年ー1921年)や戦争大臣(1919年ー1921年)に就任し、ロシア革命に端を発する共産主義の台頭を阻止しようとしたが、干渉戦争を快く思わない内閣上層部から植民地大臣(1921年ー1922年)への転任を命じられる。最終的には、反共産主義の立場を強めたウィンストン・チャーチルは自由党を離党し、1924年に保守党に復党する。
保守党に復帰したウィンストン・チャーチルは、大蔵大臣(1924年ー1929年)に就任するが、米国や日本が新興国として世界へ進出してくる中、英国の貿易が弱体化し、金本位制への復帰失敗もあって、英国の政権は保守党かた労働党へと移行する。その結果、保守党、そして、ウィンストン・チャーチルは、1930年代前半に停滞するのであった。

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