2024年9月22日日曜日

グレーターマンチェスター マンチェスター(Manchester)

英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、
2012年4月10日に発行された「UK A-Z Part 2」の一枚 -
マンチェスタータウンホール(Manchester Town Hall)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)によるミス・マープルシリーズの長編第6作目「ポケットにライ麦を(A Pocket Full of Rye)」(1953年)の場合、ロンドンにある投資信託会社の社長であるレックス・フォーテスキュー(Rex Fortescue)が、オフィスにおいて、朝の紅茶を飲んだ後、急逝したため、スコットランドヤードのニール警部(Inspector Neele)が、捜査に入るところから、物語が始まる。


検死解剖の結果、レックス・フォーテスキューの体内から、イチイの木(yew tree)から抽出される毒性のアルカロイド(toxic alkaloid)であるタキシン(taxine)が見つかり、死因は、タキシンによる中毒であることが判明した。レックス・フォーテスキューは、朝食でとったマーマレードと一緒に、タキシンを摂取したものと思われた。

更に、レックス・フォーテスキューの着衣を調べたところ、不思議なことに、上着のポケットから、大量のライ麦(rye)が出てきたのである。


レックス・フォーテスキュー社長が急死した際、タイピスト室の主任であるミス・グリフィス(Miss Griffith - 16年勤務)が、彼の長男で、父親と同じ投資信託会社に勤めるパーシヴァル・フォーテスキュー(Percival Fortescue)に対して、連絡をとろうとする。

パーシヴァル・フォーテスキューは、現在、マンチェスター(Manchester)へ出張中で、同地のミッドランドホテル(Midland Hotel)に滞在していた。

ミス・グリフィスがミッドランドホテルに電話をするも、残念ながら、パーシヴァル・フォーテスキューは、今朝早く、既にホテルを出た後だった。

パーシヴァル・フォーテスキューの行き先について、ニール警部から尋ねられたミス・グリフィスは、「シェフィールド(Sheffield)か、レスター(Leicester)へ行かれたものと思います。」と答えた。


英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、
2017年7月13日に発行された「Landmark Buildings」の一枚 -
IWM North, Manchester

投資信託会社の社長であるレックス・フォーテスキューが急死した際、彼の長男であるパーシヴァル・フォーテスキューが出張していたマンチェスターは、イングランド北西部のグレーターマンチェスター(Great Manchester)内に位置する都市である。

なお、グレーターマンチェスターの場合、ボルトン区(Bolton)を初めとする8つの区、マンチェスター市とサルフォード市(Salford)から、都市州(都市圏)が形成されている。


1世紀に古代ローマ帝国が前哨地として築いた砦が、マンチェスターの起源となる。

マンチェスターと言う名前は、古代ローマ帝国の領土だった際のラテン語名である「マムキアム(Mamuciam - ケルト語の地名である「mamm(胸のような丘)」をラテン語風に読み替えたもの)」と古英語の「ケステル(ceaster - ラテン語である「castra(駐屯地 / 城)から由来」)」を組み合わせたものである。


10世紀に入り、貴族の荘園を基盤にして、中世的な町が形成されていく。

14世紀に、オランダの織物職人の移民が入って来て、毛織物の生産が行われるようになり、マンチェスターは、商業都市として発展する。


1785年における紡績機への蒸気機関の導入に伴い、綿織物の大量生産が可能となった結果、マンチェスターで、世界初めての「産業革命(Industrial Revolution)」が起きる。

綿工業等が発展、人口が爆発的に増加、経済が急成長を遂げたため、マンチェスターは、産業革命において、中心的な役割を果たす。

1830年には、マンチェスターと約50 ㎞ 西に位置するリヴァプール(Liverpool)の間に、世界最初の鉄道が開通して、マンチェスターで生産された綿織物が、リヴァプール港経由、世界中へ輸出された。

ただし、一方で、マンチェスターにおける産業革命は、スラム街や公害等と言った深刻な問題をもたらしたのである。


産業革命以降、マンチェスターは、綿織物工業の中心都市として発展していったが、20世紀に入ると、主力産業である綿織物工業が衰退してしまう。

そのため、第一次世界大戦(1914年ー1918年)後、バーミンガム(Birmingham)が、英国第二の都市へと躍り出る。


その後、マンチェスターに、メディア、研究施設や金融機関等が入って来て、以前の最盛期程ではないものの、徐々に昔の勢いを取り戻す。

第二次世界大戦(1939年ー1945年)後に、マンチェスターがグレーターマンチェスターへ再編された以降、人口では、バーミンガムと拮抗するが、経済では、バーミンガムを追い抜き、現在、英国第二の都市として評価されている。 


                                  

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