2021年6月26日土曜日

ハリー・フーディーニ(Harry Houdini)

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2009年に出版されているダニエル・スタシャワー作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 心霊体の男」(1985年)の表紙
に描かれている
ハリー・フーディーニ(画面上の一番左に居る男性)


米国の作家兼マジシャンであるダニエル・スタシャワー(Daniel Stashower:1960年ー)作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 心霊体の男(The further adventures of Sherlock Holmes - The Ectoplasmic Man → 2021年6月9日 / 6月16日 / 6月20日付ブログで紹介済)」(1985年)に登場するハリー・フーディーニ(Harry Houdini:1874年ー1926年)は、米国で「脱出王」として名を馳せたユダヤ人の奇術師である。


彼は、1874年3月24日、オーストリア=ハンガリー二重君主国ハンガリー王国ブダペスト市に出生。本名は、ヴェイス・エリク(Weisz Erik - ハンガリー人の場合、日本人と同様に、姓を先にして、名を後に表記するため、「ヴェイス」が姓で、「エリク」が名である)。

エリクが4歳の時に、一家は米国ウィスコンシン州アップルトン市へと移住した。渡米後も、彼は自分の名前を「Ehrich Weiss」と綴っていた。

1891年、17歳の時に、米国で出版された「霊媒術の暴露」という霊媒のトリックを詳細に解説した本に書かれていた「縄抜け」のテクニックに対して、彼は非常に興味を示し、奇術師への道を志す。


エリクは、(1)当時、米国で活躍していた奇術師ハリー・ケラーの名「Harry」と(2)フランスの奇術師ロベール・ウーダンの姓「Houdin」の最後に「i」を加えた「Houdini」を組み合わせて、「ハリー・フーディーニ」を芸名とした。

ハリー・フーディーニは、脱出術を得意として、各国の警察の留置場 / 刑務所、凍った運河やミルク缶等からの脱出を観光した。そして、「ハリー・フーディーニにとって、脱出できないところはない」ことを証明し、「脱出王」の異名を以って、米国内で大人気を博した。


この大人気の裏で、ハリー・フーディーニは、最愛の母親を亡くしたことが原因となり、当時大流行していた心霊術(交霊術)信仰へと傾倒していく。彼としては、亡くなった母親と交信できる本物の霊能力者に出会えることを望んでいたが、彼の奇術師としての知識と才能が、彼の前に現れる超能力者や心霊能力者と称する者達全てがトリックやインチキであることを気付かせ、逆に、彼らのイカサマの手口を暴き、白日の下に曝け出すことに、彼を駆り立てていく。そして、彼らへの怒りが彼を「サイキックハンター」への道を歩ませたのである。


シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)も、当時、心霊術の擁護を行なっていた関係上、ハリー・フーディーニはコナン・ドイルと一時親交を結んでいたが、ハリー・フーディーニはコナン・ドイルのことを「高い知性を有するにもかかわらず、非常に騙されやすい人物」と評していた。


1926年、楽屋を訪れた大学生に対して、「腹部を強く殴られても平気」という芸を見せる際に、ハリー・フーディーニは、その準備がまだできていない段階で、腹部を殴られてしまい、それが原因で、同年10月31日、急性虫垂炎により死去してしまった。

ハリー・フーディーニは、亡くなる直前、妻のベアトリス(Wilhelmina Beatrice Rahner - 通称:ベス (Bess))に対して、「死後の世界があるのであれば、必ず連絡をする。」と告げたが、ベスによると、「その後、夫から何の連絡もなかった。」とのこと。


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