2021年2月23日火曜日

キャヴァン・スコット作「シャーロック・ホームズ 継ぎ接ぎ細工の悪魔」(Sherlock Holmes The Patchwork Devil by Cavan Scott) - その1

2016年に英国の出版社である Titan Books から刊行された
キャヴァン・スコット作「シャーロック・ホームズ 
継ぎ接ぎ細工の悪魔」の表紙
(Images : Dreamstime / funnylittlefish)

1919年の夏、ヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)が締結され、世界が第一次世界大戦(1914年-1918年)の終結を祝っている時、シャーロック・ホームズがジョン・H・ワトスンの自宅を訪ねて来る。まだ朝の七時だった。「昨夜、事件が解決したので、これからウォータールー駅(Waterloo Station)から隠遁先のサウスダウンズ(South Downs)へと戻る。」と、ホームズは告げる。ワトスンがホームズに対して、出発を遅らせて、一緒に食事をしようと、玄関で押し問答をしていると、偶然、そこへ二人の知り合いであるスコットランドヤードのトーヴェイ警部(Inspector Tovey)が、ある事件を携えて、相談にやって来たのである。


トーヴェイ警部によると、2日前、テムズ河(River Thames)に架かるタワーブリッジ(Tower Bridge → 2019年1月1日 / 1月7日 / 1月13日付ブログで紹介済)の近くで、人間(男性)の手首が発見されたと言う。

幸い、手首の指紋がスコットランドヤードで保管されているデータと合致した。その人物はサミュエル・パイク(Samuel Pike)で、1911年に強盗の罪で2年間の懲役刑に処せられたが、品行方正のため、11ヶ月間で釈放された、とのこと。

第一次世界大戦が勃発した1914年に、彼は軍に志願した後、1917年5月、北フランス戦線において、頭を銃で撃たれて戦死という記録が残っているのである。その際、英国政府からパイク夫人宛に、サミュエル・パイクの戦死を知らせる通知が届いている。

トーヴェイ警部は、ホームズとワトスンの二人に対して、サミュエル・パイクの手首には、死後硬直(rigor mortis)や腐敗の徴候はなく、切断されてから間もないのだ、と説明した。サミュエル・パイクが戦死した1917年5月から2年以上も経過した1919年の夏に、しかも、彼が戦死した北フランスから200マイルも離れたロンドンのテムズ河岸で、彼の真新しい手首が発見されることになったのだろうか?


トーヴェイ警部にスコットランドヤードへと連れてこられたホームズは、サミュエル・パイクの手首に付着した粘土から、手首が発見されたセントキャサリンドックス(St. Katherine Docks)から半マイルも離れていないワッピング(Wapping)辺りのものだと断定する。

ホームズ、ワトスンとトーヴェイ警部の三人は、早速、ワッピングへと向かうと、テムズ河沿位に染料工場の建物を発見する。この煉瓦造りの建物を怪しんだホームズは、他の二人を伴って、工場内へと潜入する。

工場内には、染料工場にはありえない自家発電機が設置されていたり、各部屋には医療用のベッドが置かれていた。この工場内において、一体、何が行われていたのか?

あるベッドの下で、ホームズは、モーリス・ルブラン(Marice Lebranc:1864年ー1941年)作の「金三角(Le Triangle d’or - アルセーヌ・ルパン(Arsene Lupin)が活躍)」(1917年)のフランス語版を見つける。出版日付を見ると、1918年11月だった。そうすると、この施設は、少なくとも、8ヶ月前から存在しており、患者と思われる一人は、フランス人だと言えた。

三人による工場内捜索は続き、女性の香水の残り香を嗅ぎつけ、別の部屋において、手術室のような場所や血の跡等も見つけるのだった。


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