2021年2月21日日曜日

ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Sheridan Le Fanu)

東京創元社から刊行されている
レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」(創元推理文庫)の表紙
表紙のオブジェは、松野光洋氏が造形。


「吸血鬼カーミラ(Carmilla→2021年2月6日 / 2月13日付ブログで紹介済)」(1872年)を執筆したのは、アイルランド出身の小説家であるジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Sheridan Le Fanu:1814年ー1873年)である。


ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、1814年8月28日、牧師である父トーマス・フィリップ・レ・ファニュ(Thomas Philip Le Fanu)と作家である母エマ・ルクレティア・ドビン(Emma Lucretia Dobbin)の下、ダブリン(Dublin)に出生。彼には、姉一人(Catherine Frances Le Fanu)と弟一人(William Richard Le Fanu)が居る。


彼の祖母であるアリシア・シェリダン・レ・ファニュ(Alicia Sheridan Le Fanu)と彼の大伯父(=彼の祖母の兄)に該るリチャード・ブリンズリー・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan)は、共に劇作家で、彼の姪のローダ・ブロートン(Rhoda Broughton)は、小説家として成功している。


ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、ダブリンのトリニティーカレッジ(Trinity College)において、法律を学んだ。大学在籍時、彼は大学歴史協会(College Historical Society)の監査役(Auditor)に選出された。その後、彼は法廷に出入りするようになったが、最終的には、法律の専門家ではなく、ジャーナリストになる道を選ぶ。そして、1838年、彼は、「ダブリン大学マガジン(Dublin University Magazine)」という月刊雑誌で、自分の作品を発表するようになった。


1844年、ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、ダブリンの著名な法廷弁護士の娘であるスザンナ・ベネット(Susanna Bennett)と結婚し、4人の子供(長女:エレノア(Eleanorー1845年出生) / 次女:エマ(Emmaー1846年出生) / 長男:トーマス(Thomasー1847年出生) / 次男:ジョージ(Georgeー1854年出生))に恵まれる。


その後、彼の妻であるスザンナは病気がちになった上、彼女の父親が亡くなったため、彼は精神的に不安定になる。そして、1858年4月、スザンナが死去してしまい、彼は1861年まで小説を執筆することができなかった。


1861年、ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、1838年から作品を発表してきた「ダブリン大学マガジン」を買い取り、1869年まで編集の主幹を務めた。彼は、「ダブリン大学マガジン」以外にも、「ダブリンイーヴニングメール(Dublin Evening Mail)」等、いくつかの定期刊行物も保有した。

彼は、「墓地に建つ館(The House by the Churchyard)」(1864年)、「アンクルサイラス(Uncle Silas)」(1864年)や「ワイルダーの手(Wylder’s Hand)」(1864年)等、生涯を通じて、長編小説15篇と短編小説を約80篇発表し、それらのほとんどが怪奇、恐怖、犯罪や陰謀等を題材にしたものばかりで、怪奇小説やミステリー小説を得意としていた。


ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、1873年2月7日、彼の生まれ故郷であるダブリンにおいて、心臓麻痺により死去、58歳の生涯を閉じた。


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