2020年6月6日土曜日

ロンドン ブラックウォール(Blackwall)–その2

グリニッジにある快走帆船カティーサーク号(Cutty Sark)の甲板から、
テムズ河越しに、ドッグ島内にあるカナリーワーフ(Canary Whard)に建つ高層ビル群を望む–
なお、ブラックウォール地区は、カナリーワーフの右側に位置している

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)において、独自の捜査により、バーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)を殺害した犯人達の居場所を見つけ出したシャーロック・ホームズは、ベーカーストリート221Bへスコットランドヤードのアセルニー・ジョーンズ警部(Inspector Athelney Jones)を呼び出す。ホームズは、ジョーンズ警部に対して、バーソロミュー・ショルトの殺害犯人達を捕えるべく、午後7時にウェストミンスター船着き場(Westminster Stairs / Wharf→2018年3月31日 / 4月7日付ブログで紹介済)に巡視艇を手配するよう、依頼する。

ホームズ達を乗せた巡視艇が、ウェストミンスター船着き場を離れて、ロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)近くのハシケの列に隠れて、バーソロミュー・ショルトの殺害犯人達が隠れていると思われるジェイコブソン修理ドック(Jacobson’s Yard)の様子を見張っていると、捜していたオーロラ号が修理ドックの入口を抜けて、物凄い速度でテムズ河(River Thames)の下流へと向かった。そうして、巡視艇によるオーロラ号の追跡が始まった。

グリニッジ(Greenwich→2018年1月27日付ブログで紹介済)において、ホームズ、ジョン・H・ワトスンやスコットランドヤードのジョーンズ警部達を乗せた巡視艇とオーロラ号の間は、300ペース分離されていたが、その距離が250ペース分以下まで詰められた場所であるブラックウォール(Blackwall)は、ロンドンの経済活動の中心地シティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の東隣りの特別区であるロンドン・タワーハムレッツ区(London Borough of Tower Hamlets)内に所在しており、テムズ河(River Thames)の北岸ドック島(Isle of Dogs→2020年5月2日 / 5月9日付ブログで紹介済)の北東角にある地区である。


ブラックウォールという地区の名は、中世に建設された堤防(river wall)の色に因んで付けられたものと言われている。

地理的に、ブラックウォール地区は、ドッグ島の北東角に位置し、テムズ河の下流に近いということもあって、16世紀頃から港湾町として発展してきた。北アメリカ大陸や西インド諸島等、英国の植民地へと向かう船舶が、ブラックウォール地区から出航した。また、テムズ河沿いの他のエリアと同様に、ブラックウォール地区内にも、ブラックウォール造船所 / 修理ドック(Blackwall Yard)が建設された。
19世紀初めには、ブラックウォール地区の西側に、東インドドック(East India Dock)も建設されたが、テムズ河沿いの他のエリアと同じく、ブラックウォールも、港湾町としての役割が低下し、ブラックウォール造船所 / 修理ドックも、20世紀後半には閉鎖されたしまった。

ブラックウォール地区を通過していないものの、ブラックウォール地区の西側(テムズ河北岸)とノースグリニッジ(North Greenwichーテムズ河南岸)を結ぶ地下トンネルは、「ブラックウォールトンネル(Blackwall Tunnel)」と名付けられている。

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