2020年2月2日日曜日

カーター・ディクスン作「第三の銃弾」(The Third Bullet by Carter Dickson)–その5

「第三の銃弾」の事件現場となった場所の近くにあるハムステッドヒース(その1)

「第三の銃弾」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、別名義のカーター・ディクスン(Carter Dickson)で執筆した「第三の銃弾(The Third Bullet)」は、ミステリー小説の分野でも実績のあったホッダー・アンド・スタウトン社から、1937年に「イラスト入りスリラー」と銘打ったシリーズ12冊のうちの1冊として出版された。

第三の銃弾」の事件現場となった場所の近くにある
ハムステッドヒース(その2)

当時のハードカバー初刊本の場合、概ね7シリング6ペンス(日本円で凡そ1万円)に定価が設定されるのが一般的だったものの、ホッダー・アンド・スタウトン社から出版された「イラスト入りスリラー」の12冊は、9ペンス(日本円で凡そ1千円)という、その僅か 1/10 という低価格に設定された。
その低価格を実現するために、総ページ数は120ページ前後と抑えられたのである。

第三の銃弾」の事件現場となった場所の近くにある
ハムステッドヒース(その3)

出版界の常識を覆すような斬新な手法が採られたにもかかわらず、残念ながら、12冊の売れ行きはあまり良くなかったようで、どの本も一度も版を重なることなく、「イラスト入りスリラー」は、1937年に出版された12冊だけで打ち切られてしまい、暫くの間、「第三の銃弾」が陽の目を見ることはなかった。

第三の銃弾」の事件現場となった場所の近くにある
ハムステッドヒース(その4)

月日が流れ、エラリー・クイーン(Ellery Queen)シリーズやドルリー・レーン(Drury Lane)シリーズ等で有名な米国の推理作家であるエラリー・クイーン(Ellery Queen)を成すコンビの一人であるフレデリック・ダネイ(Frederic Danny:1905年ー1982年)が、「第三の銃弾」を発掘して、彼が編集するミステリー雑誌「エラリー・クインーズ・ミステリマガジン(Ellery Queen’s Mystery Magazine)」の1948年1月号に同作品を再録したのである。

第三の銃弾」の事件現場となった場所の近くにある
ハムステッドヒース(その5)

ただし、再録の際に、雑誌のページ数という制約上の理由と、同作品の著者であるジョン・ディクスン・カー自身が全体を縮めてもよいとフレデリック・ダネイに一任したことから、1937年に出版された内容対比、2割程がカットされてしまった。
そのため、人物描写が薄っぺらになってしまった上に、事件の手掛かりもいくつか抜け落ちてしまうという弊害が発生している。

早川書房が出版するハヤカワ文庫版「第三の銃弾〔完全版〕」は、フレデリック・ダネイが「エラリー・クインーズ・ミステリーマガジン」に再録したものではなく、1937年にホッダー・アンド・スタウトン社から出版された当初の内容をベースにしているのである。

早川書房が出版するハヤカワ文庫版「第三の銃弾〔完全版〕」の表紙
カバーイラスト: 山田維史氏

「第三の銃弾」は、元々、中編で出版された経緯もあって、ジョン・ディクスン・カー / カーター・ディクスンお得意の怪奇 / オカルト趣向は完全に封印され、内容は、モートレイク元判事が、アイヴァー・ジョンソン38口径リヴァルヴァーでも、ブローニング32口径オートマティックでもないエルクマンの空気銃から発射された「第三の銃弾」により、如何にして殺害されたのかという不可能トリックとその解決に集中しているため、カーマニアだけではなく、一般の読者も非常に楽しめる佳作となっている。

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