2019年1月27日日曜日

ロンドン テンプル教会(Temple Church)–その2

チャーチコート(Church Court)から見たテンプル教会

テューダー朝第2代国王のヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)による宗教改革により、国王管理下へと戻ったテンプル教会(Temple Church)であったが、1608年、ステュアート朝初代国王のジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)との合意を経て、後の「インナーテンプル(Inner Temple)」と「ミドルテンプル(Middle Temple)」となる2つの法曹院に、テンプル教会の維持運営を条件に、同教会を礼拝堂として利用できる永久的な権利が認められた。

テムズ河沿いに延びるヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment)から
「インナーテンプル」と「ミドルテンプル」へ至る入口(その1)

テンプル教会は、地理的な関係で、1666年に発生して、シティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年6月4日 / 6月11日付ブログで紹介済)の大部分を焼き払ったロンドン大火(Great Fire of London→2018年9月8日 / 9月15日 / 9月22日 / 9月29日付ブログで紹介済)による被害を蒙ることはなかったが、英国の建築家で、天文学者や数学者としての顔も有していたサー・クリストファー・マイケル・レン(Sir Christopher Michael Wren:1632年ー1723年)による改修工事が行われて、祭壇上スクリーンが追加され、また、同教会に初めてオルガンが導入された。その後、ハノーヴァー朝第6代女王のヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)の統治中にも、2回(1841年+1862年)の改修工事が実施されている。

テムズ河沿いに延びるヴィクトリアエンバンクメント通りから
「インナーテンプル」と「ミドルテンプル」へ至る入口(その2)
テムズ河沿いに延びるヴィクトリアエンバンクメント通りから
「インナーテンプル」と「ミドルテンプル」へ至る入口(その3)

第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1941年5月10日、ドイツ軍による大空襲を受けて、テンプル教会は甚大な被害を蒙ったが、その後、複製品等を使って、大規模な修復が行われた。

テンプルの全体図ー
左側の「赤色」で表示した部分が「ミドルテンプル」で、
右側の「水色」で表示した部分が「インナーテンプル」を示している

現在、テンプル教会は、英国教会の教会として残り、「インナーテンプル」と「ミドルテンプル」が同教会を引き続き礼拝堂として使用している。
テンプル教会は、1950年に「一級建築文化財(Grade I listed building)」に指定されている。

左側の羊が「ミドルテンプル」を、
右側のパがさすが「インナーテンプル」を表している

米国の小説家であるダン・ブラウン(Dan Brown:1964年ー)作の推理小説「ダ・ヴィンチ・コード(The Da Vinch Code)」(2003年)や小説の映画版である「ダ・ヴィンチ・コード」(2006年)において、テンプル教会は物語の舞台の一つとして取り上げられている。

「ミドルテンプル」を表す羊
「インナーテンプル」を表すペガサス

テンプル教会の周辺は、「テンプル(Temple)」という名で呼ばれ、テンプル教会とテムズ河(River Thames)の間には、サークルライン(Circle Line)とディストリクトライン(District Line)が乗り入れる地下鉄テンプル駅(Temple Tube Station)がある。

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