2018年5月26日土曜日

ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt)−その2

テイト・ブリテン美術館に所蔵されている
ウィリアム・ホルマン・ハント作「我が英国の海岸」(1852年)

ロンドンにあるロイヤルアカデミー(Royal Academy)付属美術学校(Antique School)の学友だったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rosetti:1828年ー1882年→2018年3月4日 / 3月11日付ブログで紹介済)や初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年:2018年3月25日 / 4月1日 / 4月14日 / 4月21日 / 4月28日付ブログで紹介済)と一緒に、1848年に「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)と呼ばれる芸術グループを結成した主要メンバーの一人であるウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt:1827年ー1910年)は、当初、田園や都市における生活風景を描いていたが、画壇での評判は良くなかった。その頃の絵画には、以下の作品が含まれる。

・雇われ羊飼い(The Hireling Shepherd:1851年ー1852年)
・我が英国の海岸(Our English Coasts:1852年)
・良心の目覚め(The Awakening Conscience;1853年)

ウィリアム・ホルマン・ハント作「我が英国の海岸」のアップ

続いて、彼が聖書に主題を求めて描いた「世の光(The Light of the World)」(1851年ー1853年)によって、一躍、彼は画壇における有名人となった。本作品は、現在、オックスフォード(Oxford→2015年11月21日 / 11月28日付ブログで紹介済)のケーブルカレッジ(Keble College)にある礼拝堂内におさめられている。なお、彼が1900年に描いた同名の作品は、全世界を巡った後、現在、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)に所蔵されている。
その後も、ウィリアム・ホルマン・ハントは、聖書や伝説等を題材にして、19世紀の英国ヴィクトリア朝を代表する評論家 / 美術評論家であるジョン・ラスキン(John Rukin:1819年ー1900年)が提唱した「自然の忠実な再現」に則した写実主義を実行し、聖書の物語を絵画化するためには、物語が起きた現場を見ないと描けないと考えて、実際にパレスチナを三度も訪れている。

ウィリアム・ホルマン・ハントは、1865年にファニー・ウォー(Fanny Waugh:1833年ー1866年)と結婚したが、1866年、妻ファニーは子供の出産時にイタリアで亡くなった。
その後、彼は、ファニーの妹で、約20歳も年下のエディス・ウォー(Edith Waugh:1846年ー1931年)と再婚した。当時、英国においては、亡くなった妻の姉妹と結婚することは違法とされていたため、彼は英国外でエディスと結婚したため、家族内でいろいろと物議を醸し出した。

ウィリアム・ホルマン・ハントは、1910年9月7日、現在のケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のホーランドパーク地区(Holland Park)内にある自宅にて死去し、彼の作品「世の光」(1900年)が所蔵されているセントポール大聖堂に埋葬されたのである。

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