2018年5月19日土曜日

ロンドン ニューゲートストリート(Newgate Street)

黒死荘へと向かうディーン・ハリディ、ケン・ブレークと
スコットランドヤードのハンフリー・マスターズ主任警部の3人がタクシーを降りた
ニューゲートストリートの西端−画面奥には、中央刑事裁判所が見える

米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、別のペンネームであるカーター・ディクスン(Carter Dickson)名義で発表した長編第2作目で、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役を務める長編第1作目となる「黒死荘の殺人(The Plague Court Murder→2018年5月6日 / 5月12日付ブログで紹介済)」では、降霊会の最中、黒死荘の庭に建つ石室内において、心霊学者のロジャー・ダーワース(Roger Darworth)が血の海の中で無残にも事切れていた。石室は厳重に戸締りされている上に、石室の周囲には、足跡が何も残されていなかった。それに加えて、殺害されたロジャー・ダーワースの傍らには、前日の午後、ロンドン博物館から盗まれた曰く付きの短剣が真っ赤な血に染まって残されていたのである。


創元推理文庫版「黒死荘の殺人」(南條竹則氏 / 高沢治氏訳)によると、

『その時タクシーがスピードを落として停まった。そこにハリディ(ディーン・ハリディ(Dean Halliday)ー黒死荘の現当主)の笑い声が重なる。運転手は、ガラスの仕切りを押しのけ、こちらを向いた。
「だんな、ニューゲートストリートの角ですが、どうします?」
我々は料金を払い、車を降りてその場を見回した。建物はみな、夢の中で経験するように、見上げるばかりに高く歪んで見える。はるか後方にホルボーン高架橋のぼんやりとした灯りが浮かび、聞こえるものといえば、夜の車のかすかな警笛と寂しい雨音だけだった。』

と記されており、黒死荘へと向かうディーン・ハリディ、本編の語り手であるケン・ブレーク(Ken Blake)とスコットランドヤードのハンフリー・マスターズ主任警部(Chief Inspector Humphery Masters)の3人は、ニューゲートストリート(Newgate Street)の角で、タクシーを降りたことになる。

画面中央の四つ角からニューゲートストリートが始まり、
画面右奥へと延びている
雨模様の中、夕暮れ時が迫るニューゲートストリート

ニューゲートストリートは、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー・オブ・ロンドン(City of London)内に所在し、東西に延びる通りである。
ニューゲートストリートの西側は、オールドベイリー通り(Old Bailey→中央刑事裁判所(Central Criminal Court→2016年1月17日付ブログで紹介済)が建っている通り)<南側>、ホルボーン高架橋通り(Holborn Viaduct)<西側>およびギルップールストリート(Giltspur Street)<北側>が交差する四つ角から始まり、その東側は、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)の北側に位置している地下鉄セントポール駅(St. Paul’s Tube Station)の前にあるロータリーで終わり、そこからチープサイド通り(Cheapside)へと名前をかえる。
タクシーを降りた後、ディーン・ハリディ達はギルップールストリートへと歩き始めているので、彼らがタクシーを降りたのは、ニューゲートストリートの西橋ということになる。

ニューゲートストリートの東端は、
画面中央奥の地下鉄セントポール駅前で終わり、
そこからチープサイド通りへと名前が変わる
ニューゲートストリートの東端の北側にある
Christchurch Greyfriars Garden

ニューゲートストリートは、この辺りにあったニューゲート(Newgate)という門に因んで名付けられている。
ニューゲートは。シティー・オブ・ロンドンを防衛するために築かれたロンドンウォール(London Wall)にあった7つの門の一つで、ローマ時代に遡る6つの門の一つでもある。

中央刑事裁判所の建物外壁(北側)には、
「ここに建っていたニューゲート監獄が
1777年に取り壊された」ことを示すブループラークが架けられている

12世紀に入ると、ニューゲートは、殺人や強盗等の重罪人を収容するニューゲート監獄(Newgate Prison)の一部として使用されたが、1666年9月に発生したロンドン大火(Great Fire of London)によって焼失した。その後、再建されたものの、ニューゲートは1767年に、また、ニューゲート監獄は1777年に取り壊されてしまう。ニューゲート監獄の跡地に建つ中央刑事裁判所のニューゲートストリート側に面している建物外壁には、「1777年に取り壊されたニューゲート監獄が建っていた場所である(Site of Newgate Demonlished 1777)」ことを示すブループラークが架けられている。

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