2018年5月28日月曜日

ロンドン メルバリーロード18番地(18 Melbury Road)

「ラファエル前派」を結成した主要メンバーの一人である
ウィリアム・ホルマン・ハントが住んでいた
メルバリーロード18番地の建物全景

ロンドンにあるロイヤルアカデミー(Royal Academy)付属美術学校(Antique School)の学友だったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rosetti:1828年ー1882年→2018年3月4日 / 3月11日付ブログで紹介済)や初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年:2018年3月25日 / 4月1日 / 4月14日 / 4月21日 / 4月28日付ブログで紹介済)と一緒に、1848年に「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)と呼ばれる芸術グループを結成した英国の画家ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt:1827年ー1910年)が住んでいた家が、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のホーランドパーク地区(Holland Park)内に残っている。


ハロッズ(Harrods)デパートの近くにある地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)から、ハイドパーク(Hyde Park→2015年3月14日付ブログで紹介済)を右手にして、地下鉄ハマースミス駅(Hammersmith Tube Station)へと向かって西に進んで行くと、通りはナイツブリッジ通り(Knightsbridge)、そして、ケンジントンロード(Kensington Road)と名前を変えていく。ケンジントン宮殿(Kensington Palace)が右手に見えると、通りは更にケンジントンハイストリート(Kensington High Street→2016年7月9日付ブログで紹介済)へと名前を変える。

画面左手の通りがケンジントンハイストリートで、
画面手前の通りがメルバリーロード

ケンジントンハイストリートを西へ進み、左手に地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station→2016年6月25日付ブログで紹介済)が、次に右手にデザイン博物館(Design Museum)が見えた段階で、右手にあるメルバリーロード(Melbury Road)へと右折する。

メルバリーロード18番地の玄関口

メルバリーロードを北上し、左手に見えるホーランドパークロード(Holland Park Road)を過ぎた左手に、ウィリアム・ホルマン・ハントが住んでいたメルバリーロード18番地(18 Melbury Road)の建物がある。

メルバリーロード18番地の建物外壁(その1)
メルバリーロード18番地の建物外壁(その2)

メルバリーロード18番地の建物は、1877年に建てられたセミデタッチの住居で、ホーランドパーク地区内の他の場所やフラム地区(Fulham)に長らく住んだウィリアム・ホルマン・ハントは、彼の晩年に該る1905年に、ここに移り住んだ。
彼は1910年9月7日にメルバリーロード18番地で亡くなった後、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)に埋葬された。

ウィリアム・ホルマン・ハントに関するブループラークは
下側に架けられている
ウィリアム・ホルマン・ハントに関するブループラークのアップ写真

現在、建物の2階部分の外壁に、「ウィリアム・ホルマン・ハントがここに住み、そして、ここで亡くなった」ことを示すブループラークが架けられている。
このブループラークが架けられたのは1923年で、彼が亡くなってからわずか10年ちょっと後であるが、彼の妻だったエディス(Edith:1846年ー1931年)がまだ存命中で、この建物にまだ住んでいた時であった。

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