2017年3月12日日曜日

ロンドン フォーチュン劇場(Fortune Theatre)

フォーチュン劇場―
ここで、アガサ・クリスティー作の戯曲版「ホロー荘の殺人」が1951年6月7日に上演された

アガサ・クリスティー作「ホロー荘の殺人(The Hollow)」(1946年)は、ある年の9月末の週末、行政官だったサー・ヘンリー・アンカテル(Sir Henry Angkatell)と夫人のルーシー・アンカテル(Lucy Angkatell)は、友人のクリストウ夫妻をロンドン近くの自宅ホロー荘へ招待して、彼らをもてなす計画をするところから、話が始まる。

アルビオンタヴァーンという名の
パブが営業していた跡地に
フォーチュン劇場が1924年に建設された

夫のジョン・クリストウ(John Christow)はハーリーストリート(Harley Streetー2015年4月11日付ブログで紹介済)で成功をおさめた外科医で、夫人のガーダ・クリストウ(Gerda Christow)は純真かつ無邪気な性格で、夫のジョンに対して崇拝に近い位の愛情を捧げていた。ただ、ガーダは簡単な室内ゲームも満足にできないのが、ルーシー・アンカテルにとって頭の痛い点だった。

フォーチュン劇場の正面(その1)

クリストウ夫妻の他には、以下の人物が招待されていた。

(1)ミッジ・ハードキャッスル(Midge Hardcastle):ルーシー・アンカテルの従妹で、服飾関係の店員として働いている。
(2)エドワード・アンカテル(Edward Angkatell):サー・ヘンリー・アンカテルの従弟で、アンカテル家の領地エインズウィック(Ainswick)の法廷相続人。
(3)ヘンリエッタ・サヴァナク(Henrietta Savernake):彫刻家
(4)デイヴィッド・アンカテル(David Angkatell):ルーシー・アンカテルの従兄弟で、学生。

更に、ルーシー・アンカテルがバグダッドで出会ったエルキュール・ポワロが偶然ホロー荘の近くに別荘を借りていたため、彼女は彼を日曜日の昼食に招いていた。

フォーチュン劇場の入口を横から見たところ

招待客が到着して、週末が始まると、ルーシー・アンカテルの心配が的中することになった。ミッジ・ハードキャッスルはエドワード・アンカテルのことを愛していたが、当人のエドワード・アンカテルはヘンリエッタ・サヴァナクにエインズウィックの女主人になってほしいと思っている。ところが、ヘンリエッタ・サヴァナクはジョン・クリストウと不倫関係にあったのだ。そして、デイヴィッド・アンカテルはそんな彼らを嫌っていた。

フォーチュン劇場のステージドア

ポワロの向かいの別荘を借りている女優のヴェロニカ・クレイ(Veronica Clay)がきらしたマッチを借りようとホロー荘へとやって来たで、状況は更に緊迫度を増した。ヴェロニカ・クレイは以前ジョン・クリストウと交際しており、彼に外科医の仕事を捨てて、自分と一緒にハリウッドへ来るように誘ったが、彼は彼女の要請を断り、彼女としては、それを良しとはしていなかった。そして、これが15年振りの再会であった。ジョン・クリストウは、以前のようにヴェロニカ・クレイの魅力に抗いできず、結局、彼女を別荘まで送って行くことになった。ジョン・クリストウが、午前3時にヴェロニカ・クレイの別荘からホロー荘へと戻って来た際、誰かに見られているように感じた。ところが、誰の姿も見当たらず、妻のガーダが寝室で寝ていることを確認すると、ジョン・クリストウは安心して、床に就くのであった。

フォーチュン劇場の正面(その2)

翌日の日曜日、ルーシー・アンカテルに昼食へ招かれたポワロは、ホロー荘を訪れた。執事のガジョン(Gudgeon)に案内されて、昼食前の一杯のため、プールの側の東屋(あずまや)へ向かったポワロであったが、プールのところにホロー荘の主夫妻や招待客達が集まっているのを目にする。そして、彼らが囲んでいたのは、銃で撃たれ、血を流して倒れているジョン・クリストウと、銃を手にして傍らに立つガーダ・クリストウという芝居染みた光景であった。当初、ポワロは、名探偵である自分を歓迎するための余興だと考えたが、直ぐに冗談事ではないことが判る。正に、ポワロの目の前で、本物の殺人事件が発生したのであった。

フォーチュン劇場では、
スーザンヒルの原作をベースにした
「黒衣の女―ある亡霊の物語」が1989年から上演され、
ロングランを続けている

アガサ・クリスティーは、後に自伝において、「ホロー荘の殺人」のことを次のように記している。
「いつも思っていたことだったが、『ホロー荘の殺人』では、ポワロを登場させたことは失敗だった。私は自分の小説にポワロを出すことに慣れっこになっていたから、この小説にも、当然、彼が入ってきたのだが、それが失敗だった。」と。

そのため、アガサ・クリスティーは、「ホロー荘の殺人」を戯曲化した際、ポワロガ登場しない筋書きに変更している。ポワロの代わりに、スコットランドヤードの Inspector Colquhoun と Detective Sergeant Penny が事件の捜査にあたる。
また、ストーリーを簡略化させる関係上、デイヴィッド・アンカテルは登場人物から外されている。それに加えて、ヘンリエッタ・サヴァナクの名前がヘンリエッタ・アンカテル(Henrietta Angkatell)へ、ミッジ・ハードキャッスルの名前がミッジ・ハーヴェイ(Midge Harvey)へと変更されている。

フォーチュン劇場の外壁に架けられた
「黒衣の女―ある亡霊の物語」の広告(その1)

アガサ・クリスティー作の戯曲版「ホロー荘の殺人」は、1951年6月7日、フォーチュン劇場(Fortune Theatre)において上演された。
フォーチュン劇場は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあるラッセルストリート(Russell Street)に面して建つ劇場である。

フォーチュン劇場の外壁に架けられた
「黒衣の女―ある亡霊の物語」の広告(その2)

フォーチュン劇場が現在建つ場所には、以前、アルビオンタヴァーン(Albion Tavern)という名のパブが営業しており、その土地を劇作家で興行主でもあったローレンス・コーウェン(Laurence Cowen:1865年ー1942年)が購入して、建築家のアーネスト・シャウフェルバーグ(Ernest Schaufelberg)に設計を依頼。1922年から1924年にかけて、劇場は建設された。フォーチュン劇場は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)以降にロンドンで建設された最初の劇場で、かつ、コンクリートを用いて建てられたロンドン内で最も古い建物である。

フォーチュン劇場の正面外壁上部には、
「テレプシコーラ」像が設置されている

建物の正面外壁上部には、彫刻家M・H・クリックトン(M. H. Crichton)が制作した「テレプシコーラ(ギリシア語: Terpsichore、英語: Terpsichora)」像が設置されている。なお、「テレプシコーラ」は、ギリシア神話に登場する文芸の女神の一人で、合唱や舞踏を司っている。そのため、「テレプシコーラ」とは、「踊りの楽しみ」を意味する。

「テレプシコーラ」像のアップ

竣工した劇場は、1924年8月8日に「フォーチュンスリラー劇場(Fortune Thriller Theatre)」として正式にオープンした。
同劇場では、1989年から英国の作家スーザン・ヒル(Susan Hill:1942年ー)の原作「黒衣の女ーある亡霊の物語(The Woman in Black)」をベースにした作品がロングランを続けている。2001年には上演回数5千回を達成している。2008年9月には、日英外交関係150周年を記念して、日本の俳優の上川隆也(1965年ー)と斎藤晴彦(1940年ー2014年)による日本語での上演が行われた。

フォーチュン劇場の観客収容人数は432名で、ウェストエンド(West End)内の劇場では二番目に小さいと言われている。
同劇場は、1960年に改修され、1994年5月にはイングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)によって「グレードⅡ(Grade II)」の建物に指定されている。

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