2016年11月5日土曜日

ガイ・フォークス ナイト(Guy Fawkes Night)

「火薬陰謀事件」の主なメンバー達

アガサ・クリスティー作「厩舎街(ミューズ)の殺人(Murder in the Mews)」(1937年)は、ガイ・フォークス ナイト(Guy Fawkes Night)に該る11月5日、打ち上げられる花火がロンドンの夜空を照らす中、物語が始まる。
「厩舎街の殺人」は、1937年に出版された中編集「厩舎街の殺人」(英国版)/「死人の鏡(Dead Man's Mirror)」(米国版)に収められている。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)内にある
ジュビリーライン(Jubilee Line)のプラットフォームの壁に描かれている

夕食を終えて、静かな脇道のバーズリーガーデンミューズ(Bardsley Garden Mews)を歩くスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)は、隣りを歩くエルキュール・ポワロに次のように話しかける。「殺人を行うには、うってつけの晩だ。今夜なら、たとえピストルを撃ったとしても、誰にも聞こえやしない。」と...


全くの偶然ではあるが、彼らが歩いていたバーズリーガーデンミューズにおいて、事件が発生する。若い未亡人であるバーバラ・アレン夫人(Mrs. Barbara Allen)が拳銃自殺をしたのである。しかし、彼女には自殺する理由が見当たらない上に、現場には自殺と断定するには疑わしい点が多かった。何故ならば、ピストルは彼女の右手の中にあったものの、握られていた訳ではなかった。不自然なことに、ピストルの弾丸は、彼女の頭の右側からではなく、左側から入っていたのである。つまり、何者かが彼女を殺害した後で、自殺に見せかけようとしたのだ!これを他殺と考えたジャップ主任警部は、ポワロに事件の捜査協力を依頼する。

ロンドンの秋深まる夜空を明るく彩るガイ・フォークス ナイトの打ち上げ花火

「厩舎街(ミューズ)」とは、厩舎(うまや)から表通りまでの路地のことを指している。ロンドン市内では、厩舎だった建物が後にフラット等の住居に改装され、人が住むようになったが、「ミューズ」という名は市内各所にそのまま残り、以前、厩舎が建ち並ぶ路地であったことを今に伝えている。

実行役のガイ・フォークス(左側)と
首謀者のロバート・ケイツビー(Robert Catesby)

ガイ・フォークス(Guy Fawkes:1570年ー1606年)は、1606年に発覚した「火薬陰謀事件(Gunpowder Plot)」と呼ばれる政府転覆未遂事件の実行役として知られる人物である。彼は、グイド・フォークス(Guido Fawkes)という別名でも知られている。
事件の首謀者はロバート・ケイツビー(Robert Catesby:1573年ー1605年)で、イングランド国教会優遇政策の下、弾圧されていたカトリック教徒の過激派によって計画され、イングランド議会の上院議場の地下に仕掛けた大量の火薬を用いて、1605年11月5日の上院開院式に出席する英国王ジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)達を爆殺しようと企てたが、実行直前に計画は露見し、失敗に終わった。



この陰謀が発覚した11月5日をガイ・フォークス ナイトと呼び、毎年この日には「ガイ(guy)」と呼ばれるガイ・フォークスを模した人形を街中を引き回した後に篝火(かがりび)で焼く行事が、英国各地で行われるようになった。1650年代以降、篝火だけではなく、花火も打ち上げられるようになった。今では、人形の方は廃れてきたが、昼間からかんしゃく玉を爆発させて、陽が暮れると、篝火を焚く風習は残っている。ただし、主に都市部では、打ち上げ花火を楽しむ祭事へと変わってきている。また、英語で「男」や「奴」を意味する「guy」は、ガイ・フォークスに因んでいると言われている。

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