2016年10月1日土曜日

ロンドン ベーカーストリート(Baker Street)

ベーカーストリート沿いに設置されていた
シャーロック・ホームズの垂れ幕

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)の冒頭、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospitalー2014年6月14日付ブログで紹介済)時代に自分の助手をしていたスタンフォード青年(Stamford)と出会ったジョン・H・ワトスン(医学博士)は、同居人を捜しているというシャーロック・ホームズなる人物を紹介してもらう。スタンフォード青年と一緒に、セントバーソロミュー病院でホームズと会ったワトスンは、翌日の正午、その下宿屋の下見に行くことになった。


ホームズの提案通り、翌日、私達は待ち合わせをして、昨日会った時に彼が言っていたベーカーストリート221Bの下宿を下見した。その下宿は、居心地の良い寝室が二つと居間が一つという構成だった。特に、居間は快適な内装で、大きな窓が二つあって明るく、その上、風通しの良い広い部屋だった。この下宿は、あらゆる点で申し分がなく、家賃についても、二人で払う分には手頃だったので、その場で交渉が成約し、私達は直ぐに引っ越すことにした。その日の夕方、私はホテルから荷物を運び込み、その翌朝、私に続いて、ホームズが箱や旅行鞄を何個か伴ってやって来た。一日二日、私達は荷解きを行い、私達の持ち物を一番使い易い場所に配置するのに忙しかった。それが終わると、私達は徐々に落ち着いて、この新しい環境に慣れるようになったのである。


We met next day as he had arranged, and inspected the room at No. 221B, Baker Street, of which he had spoken at our meeting. They consisted of a couple of comfortable bed-rooms and a single large airy sitting-room, cheerfully furnished, and illuminated by two broad windows. So desirable in every way were the apartments, and so moderate did the terms seem when divided between us, that the bargain was concluded upon the spot, and we at once entered into possession. That very evening I moved my things round from the hotel, and on the following morning Sherlock Holmes followed me with several boxes and portmanteaus. For a day or two we were busily employed in unpacking and laying out our property to the best advantage. That done, we gradually began to settle down and to accommodate ourselves to our new surroundings.


ホームズとワトスンが共同生活を送ることになった部屋221Bを含む下宿屋(ハドスン夫人が営む)は、言わずと知れたベーカーストリート(Baker Street)に面している。

ベーカーストリートの中間辺りから
北側(地下鉄ベーカーストリート駅方面)を見たところ
ベーカーストリートの中間辺りから
南側(オックスフォードストリート方面)を見たところ

ベーカーストリートは、現在、リージェンツパーク(Regents' Park)の南側にあるパークロード(Park Road)との交差点を北端として始まり、地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の前を東西に延びるマリルボーンロード(Marylebone Street)やポートマンスクエア(Portman Square)等を過ぎ、ウィグモアストリート(Wigmore Street)と交差したところから、オーチャードストリート(Orchard Street)という名前に変わる。そして、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)から地下鉄ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station)経由、地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)へ向かって西に延びるオックスフォードストリート(Oxford Street)に突き当たって、オーチャードストリートは終わるが、ベーカーストリートを含む直線距離は約2.5kmに及ぶ。


オーチャードストリートとオックスフォードストリートが交差する北東の角には、高級デパートの一つとして知られる「セルフリッジズ(Selfridges)」の旗艦店が入居するビルが建っている。この「セルフリッジズ」の旗艦店は、「ハロッズ(Harrods)」に次いで、英国では2番目に大きな店舗である。


18世紀に通りを敷設した英国の建築家であるウィリアム・ベーカー(William Baker)に因んで、この通りは「ベーカーストリート」と呼ばれるようになった。
通りが敷設された当初は、高級住宅街であったが、現在は主に商業用店舗が数多く建ち並んでいる。

ベーカーストリートを敷設した
英国の建築家ウィリアム・ベーカー

ホームズとワトスンが活躍したヴィクトリア朝時代、実際にベーカーストリートと呼ばれていたのは、南端のウィグモアストリートから北端は地下鉄ベーカーストリート駅の前を通るマリルボーンロードまでで、マリルボーンロードから更に北上したパークロードとの交差点までの通りは、当時、アッパーベーカーストリート(Upper Baker Street)という別の名前が付けられていた。
現在の住所表記上、ベーカーストリート221番地は、以前、アッパーベーカーストリートと呼ばれていた通り沿いに位置しているため、コナン・ドイルがホームズシリーズを執筆した当時には、ベーカーストリート221番地は実在しておらず、架空の住所だったことになる。この辺りの経緯については、2014年6月29日付ブログを御参照いただきたい。

現在、ベーカーストリート沿いには
商業用店舗が数多く軒を並べている

コナン・ドイルの友人であったモリス博士は、「『緋色の研究』に登場する主人公のホームズの住居をどこにしたらよいか?」とコナン・ドイルから相談があった、と語っている。そこで、モリス博士はコナン・ドイルに対して、自分の父親が以前住んでいた事がある「ベーカーストリート21番地」を薦め、コナン・ドイルは実際に同地を訪ねたそうである。そして、ベーカーストリートが気に入ったコナン・ドイルは、ホームズの住居として採用する際、実際に「ベーカーストリート21番地」に住んでいる居住者に迷惑がかかるのを避けるために、番地を「ベーカーストリート21番地」から当時は実在していなかった架空の住所である「ベーカーストリート221番地B」へと、意図的に変更したのではないか、と言われている。

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