2016年10月15日土曜日

トーマス・カーライル(Thomas Carlyle)

チェイニーウォーク沿いの広場内に設置されているトーマス・カーライル像

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)は、元軍医局のジョン・H・ワトスン医学博士の回想録で、物語の幕を開ける。

トーマス・カーライル像が設置されているチェイニーウォークは、
チェルシー地区内の閑静な高級住宅街である

1878年に、ワトスンはロンドン大学(University of London)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospital)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。
英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strand)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Bar)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。
こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。

トーマス・カーライル像の背後には、
彼が住んでいたチェイニーロウがある

ホームズの無知は、彼の知識と同様に、驚きに値した。現代文学、哲学や政治に関して、彼はほとんど何も知らないようだった。私がトーマス・カーライルについて言及した際、それは誰で、何をした人物なのか、彼は私に極めて素朴に訊いてきた。しかしながら、私が一番驚いたのは、偶然ではあるが、コペルニクスの地動説や太陽系の構成についても、彼が全く知らないことを、私が知った時である。この19世紀を生きる文明人の中に、地球が太陽を周回していることを知らない人間がまだ残っていることが、あまりにも途方もない話であって、私はほとんど信じられなかった。
「君は驚いているだね。」と、彼は私の唖然とした表情に笑いかけながら言った。「今、僕はそれを知ることになったが、全力でそれを忘れるつもりだ。」と。

チェイニーロウの角に建つフランス風カフェ&レストラン―
左手奥の広場内にトーマス・カーライル像が設置されている

His ignorance was as remarkable as his knowledge. Of contemporary literature, philosophy and politics he appeared to know next to nothing. Upon my quoting Thomas Carlyle, he enquired in the naivest way who he might be and what he had done. My surprise reached a climax, however, when I found incidentally that he was ignorant of the Copernican Theory and of the composition of the Solar System. That any civilised human being in this nineteenth century should not be aware that the earth travelled round the sun appeared to be to me such an extraordinary fact that I could hardly realize it.
'You appear to be astonished,' he said, smiling at my expression of surprise. 'Now that I do know it I shall do my best to forget it.'

テムズ河に沿って東西に延びるチェイニーウォーク―
奥には、アルバート橋が見える

ホームズがワトスンに対して、「誰で、何をした人物なのか、知らない。」と告げたトーマス・カーライル(Thomas Carlyle:1795年ー1881年)は、スコットランド出身で、ヴィクトリア朝時代の大英帝国を代表する歴史家で、評論家でもある。
トーマス・カーライルは、「英雄崇拝論(On Heroes and Hero Worship and the Hero in History)」(1834年)、「フランス革命史(The French Revolution : A History)」(1837年)や「過去と現在(Past and Present)」(1843年)等の著作で知られている。

トーマス・カーライル像は、チェイニーウォーク越しに、テムズ河を静かに見つめている

ワトスンがホームズと出会った頃(1881年初頭)、トーマス・カーライルは、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea)内にあるチェイニーロウ24番地(24 Cheyne Row)に住んでいた。
彼が住んでいたチェイニーロウの南側には、テムズ河(River Thames)に沿って東西に延びるチェイニーウォーク(Cheyne Walk)があり、その緑地帯にトーマス・カーライルのブロンズ像が設置されている。

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