2016年9月25日日曜日

アガサ・クリスティー没後40周年記念切手1「オリエント急行の殺人(Murder on the Orient Express)」


今年は、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Dame Agatha Mary Clarissa Christie:1890年9月15日ー1976年1月12日)の没後40周年に該るため、彼女の誕生日である9月15日に合わせて、記念切手が発行されたので、今週から6週にわたって、記念切手6種類を紹介したいと思う。

(1)「オリエント急行の殺人(Murder on the Orient Express)」(1934年)

本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては第14作目、また、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては第8作目に該る。

中東のシリア(Syria)での仕事を終えて、イスタンブール(Istanbul)のホテル(The Tokatlian Hotel)に到着したエルキュール・ポワロは、そこで「直ぐにロンドンへ戻られたし。」という電報を受け取る。早速、ポワロはホテルにイスタンブール発カレー(Calais)行きのオリエント急行(Orient Express)の手配を依頼するが、通常、冬場(12月)は比較的空いている筈にもかかわらず、季節外れの満席だった。

とりあえず、駅へ向かったポワロであったが、ベルギー時代からの友人で、ホテルで再会した国際寝台車会社(Compagnie Internationale des Wagons Lits)の重役ブック氏(Mr. Bouc)が、ポワロのために、二等寝台席を確保してくれる。なお、ブック氏は、仕事の関係で、スイスのローザンヌ(Lausanne)へと向かう予定だった。

なんとかヨーロッパへの帰途についたポワロは、米国人のヘクター・ウィラード・マックイーン(Hector Willard MacQueen)と同室になる。


季節外れにもかかわらず、オリエント急行には、様々な国と職業の人達が乗り合わせていた。

その中の一人で、イスタンブールのホテルで既に見かけていた米国人の実業家であるサミュエル・エドワード・ラチェット(Samuel Edward Ratchett)が、ポワロに対して、話しかけてくる。彼は、最近脅迫状を数回受け取っていたため、身の危険を感じており、ポワロに自分の護衛を依頼してきたのであった。彼の狡猾な態度を不快に思ったポワロは、彼の依頼を即座に断る。


翌日の夜、ベオグラード(Belgrade - 現在のセルビア共和国の首都)において、アテネ(Athens)発パリ(Paris)行きの車輌が接続され、ブック氏はその車輛へと移り、自分の一等寝台席(1号室)をポワロに譲ったため、ポワロはカレーまでゆっくりと一人で過ごせる筈だった。ところが、ポワロの希望とは裏腹に、列車は、ヴィンコヴツィ(Vinkovciー現在のクロアチア(Croatia)共和国領内)近くで積雪による吹き溜まりに突っ込んで、立ち往生しつつあった。


その夜、隣室(2号室)のラチェットの部屋での出来事や廊下での騒ぎ等により、ポワロは、何度も安眠を邪魔された。そして、翌朝、車掌が、ポワロの隣室において、ラチェットが死んでいるのを発見する。彼は、刃物で全身を12箇所もメッタ刺しの上、殺害されていたのである。

ブック氏は、会社の代表者として、ポワロに対し、事件の解明を要請し、それを受諾したポワロは、別の車輛に乗っていたギリシア人の医師コンスタンティン博士(Dr. Constantine)と一緒に、ラチェットの検死を行う。ラチェットが殺害された現場には、燃やされた手紙が残っていて、ポワロは、その手紙からデイジー・アームストロング(Daisy Armstrong)という言葉を解読した。サミュエル・エドワード・ラチェットという名前は偽名であり、彼は、5年前に、米国において、幼いデイジー・アームストロングを誘拐して殺害した犯人カセッティ(Cassetti)で、身代金を持って海外へ逃亡していたのである。


ラチェットの正体を知ったポワロは、ブック氏/コンスタンティン博士と一緒に、列車の乗客の事情聴取を開始する。積雪のため、立ち往生した列車の周囲には足跡がなく、外部の人間が犯人とは思えなかった。列車には、


*1号室(一等寝台席):エルキュール・ポワロ

*2号室(一等寝台席):サミュエル・エドワード・ラチェット

*3号室(一等寝台席):キャロライン・マーサ・ハバード夫人(Mrs. Caroline Martha Hubbard)- 陽気でおしゃべりな中年女性(米国人)

*4号室(二等寝台席):エドワード・ヘンリー・マスターマン(Edward Henry Masterman)- ラチェットの執事(英国人)

*5号室(二等寝台席):アントニオ・フォスカレリ(Antonio Foscarelli)- 自動車のセールスマン(米国に帰化したイタリア人)

*6号室(二等寝台席):ヘクター・ウィラード・マックイーン - ラチェットの秘書(米国人)

*7号室(二等寝台席):空室(当初、ポワロが使用していた)

*8号室(二等寝台席):ヒルデガード・シュミット(Hildegarde Schmidt)- ドラゴミロフ公爵夫人に仕える女中(ドイツ人)

*9号室(二等寝台席):空室

*10号室(二等寝台席):グレタ・オルソン(Greta Ohisson)- 信仰心の強い中年女性(スウェーデン人)

*11号室(二等寝台席):メアリー・ハーマイオニー・デベナム(Mary Hermione Debenham)- 家庭教師(英国人)

*12号室(一等寝台席):エレナ・マリア・アンドレニ伯爵夫人(Countess Elena Maria Andrenyi / 旧姓:エレナ・マリア・ゴールデンベルク(Elena Maria Goldenberg))- ルドルフ・アンドレニ伯爵の妻(ハンガリー人)

*13号室(一等寝台席):ルドルフ・アンドレニ伯爵(Count Rudolf Andrenyi)- 外交官(ハンガリー人)

*14号室(一等寝台席):ナタリア・ドラゴミロフ公爵夫人(Princess Natalia Dragomiroff)- 亡命貴族の老婦人(フランスに帰化したロシア人)

*15号室(一等寝台席):アーバスノット大佐(Colonel Arbuthnot)- 軍人(英国人)

*16号室(一等寝台席):サイラス・ベスマン・ハードマン(Cyrus Bethman Hardman)- セールスマンと言っているが、実はラチェットの身辺を護衛する私立探偵(米国人)


ポワロと被害者のラチェット以外に、12名の乗客とオリエント急行の車掌で、フランス人のピエール・ポール・ミシェル(Pierre Paul Michel)が乗っていた。

果たして、ラチェットを惨殺した犯人は、誰なのか?ところが、何故か、乗客達のアリバイは、互いに補完されていて、容疑者と思われる者は、誰も居なかった。

捜査に難航するポワロであったが、最後には驚くべき真相を明らかにするのであった。


本作品において、犯行動機の重要なファクターとなるデイジー・アームストロング誘拐殺人事件については、初の大西洋単独無着陸飛行(1927年5月20日ー同年5月21日)を成功したことで有名な米国人飛行家チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh:1902年ー1974年)の長男チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニア(当時1歳8ヶ月)が、1932年3月1日にニュージャージー州(New Jersey)の自宅から誘拐され、約2ヶ月後に邸宅付近で死亡しているのが発見されるという実際の事件があり、アガサ・クリスティーは、この事件から着想を得たものとされている。


今回、アガサ・クリスティーの没後40周年の記念切手として採用されたのは、ラチェットが殺害された深夜、オリエント急行列車の廊下を外側から見た場面である。画面左手には、車掌のミシェルが立っており、画面中央には、ポワロの部屋を突然ノックして、彼の安眠を妨害し、立ち去って行く赤い着物を羽織った女性が描かれている。そして、積雪による吹き溜まりの中に立ち往生したオリエント急行の煙突から立ち上った煙は、帽子をかぶったポワロの形となって、ラチェットの殺害現場を見ているのである。更に、画面の一番下には、ラチェットを殺害したと思われる容疑者13名(12名の乗客と車掌)の名前が列挙されている。

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