2016年9月24日土曜日

ロンドン ホルボーン(Holborn)

ホルボーン通り(Holborn)沿いに建つホルボーンバーズ(Holborn Bars)―
1879年から1901年にかけて建設され、
Prudential Assurance の本社が入居していた

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)は、元軍医局のジョン・H・ワトスン医学博士の回想録で、物語の幕を開ける。


1878年に、ワトスンはロンドン大学(University of London)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospital)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍することになる。アフガニスタンの戦場マイワンド(Maiwand)において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負ってしまう。献身的で勇気ある看護兵マレー(Murray)に助けられ、ワトスンは英国の防衛ラインまで無事運ばれたが、ペシャワル(Peshawar)の兵舎病院での入院中、彼は更に腸チフスに罹患し、死線を彷徨う。そのため、彼は軍隊輸送船オロンテス号(Orontes)で戦地を離れ、英国へ送還されるのであった。

地下鉄チャンセリーレーン駅(Chancery Lane Tube Station)から出た辺りの
ホルボーン通り(その1)
地下鉄チャンセリーレーン駅(Chancery Lane Tube Station)から出た辺りの
ホルボーン通り(その2)

英国に戻ったワトスンは、健康を回復するための9ヶ月間の休暇が認められ、ストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)のホテルに滞在する。彼には英国内に親類縁者がなく、限られた恩給を遥かに超える浪費をしながら、無意味な生活を送っていた。財政状態が非常に逼迫してきた彼は、さすがに生活態度を変える必要性を感じていた。

ホルボーン通り沿いにあるパブ
ホルボーン通りの東側から西方面を見たところ

この結論に至った正にその日、私はクライテリオンバーに居た。その時、誰かが私の肩を叩くので、振り返ると、そこにはセントバーソロミュー病院で私の外科助手をしていた若きスタンフォードが立っていたのである。ロンドンという名の広大な荒野において懐かしい顔に出会うのは、孤独な人間にとって本当に嬉しいことだった。セントバーソロミュー病院に在籍していた頃、スタンフォード青年は私にとって親友だったという訳ではないが、その時は本当に喜んで、彼を歓迎したし、彼の方も私に会えて嬉しそうだった。スタンフォード青年に再会できて非常に嬉しかったので、私は彼をホルボーンでの昼食に誘い、辻馬車に同乗して、ホルボーンへと向かった。
「ワトスン、今まで一体どうしてたんだい?」馬車が混雑したロンドンの通りをガタガタと通り過ぎている時、彼は驚きも隠さずに尋ねた。「とても痩せこけているし、皮膚も浅黒くなっているじゃないか!」
私は彼に自分の体験談を簡単に説明したが、馬車が目的地に着いた時、話はまだ終わっていなかった。
「ひどい目に会ったな!」彼は私の不幸な体験談を全て聞き終わると、気の毒そうに言った。「今はどうしているんだい?」
「実を言うと、住む場所を探しているんだ。」と私は答えた。「そこそこの家賃で快適な部屋を見つけるという難題に取り組んでいるところさ。」
「不思議だな!」と彼は言った。「僕に部屋探しの話をしたのは、今日君で二人目だ。」

ホルボーンサーカス(Holborn Circus)の南西の角に建つビルに
セインズベリーズの本社が入居している
セインズベリーズの本社が入居しているビルのG階裏側では、
同社の小売店が営業している

On the very day that I had come to this conclusion, I was standing at the Criterion Bar when someone tapped me on the shoulder and, turning around, I recognised young Stamford, who had been a dresser under me at Barts. The sight of a friendly face in the great wilderness of London is a pleasant thing indeed to a lonely man. In old days Stamford had never been a particular crony of mine, but now I hailed him with enthusiasm, and he, in his turn, appeared to be delighted to see me. In the exuberance of my joy, I asked him to lunch with me at the Holborn, and we started off together in a hansom.
'Whatever have you been doing with yourself, Watson?' he asked in undisguised wonder, as we rattled through the crowded London streets, 'You are as thin as a lath and as brown as a nut.'
I gave him a short sketch of my adventures, and had hardly concluded it by the time that we reached our destination.
'Poor devil!' he said commiseratingly, after he had listened to my misfortunes. 'What are you up to now?'
'Looking for lodgings,' I answered. ' Trying to solve the problem as to whether it is possible to get comfortable rooms at a reasonable price.'
'That's a strange thing,' remarked my companion. 'You are the second man today that has used that expression to me.'

ホルボーンサーカス内に建つアルバート公(Albert, Prince Consort)のブロンズ像―
アルバート公は、ヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年―1901年
在位期間:1837年ー1901年)の夫君である
手前にはアルバート公のブロンズ像が建ち、
奥にはセインズベリーズの本社が入居するビルが聳え、
英国の新旧がうまい具合に同居している

クライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)で再会した後、ワトスンがスタンフォード青年を昼食に誘った場所ホルボーン地区(Holborn)は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の北側に位置するロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)内にある。
「ホルボーン」の名前は、古製英語で(1)「窪地/盆地(hollow)」を意味する「hol」と(2)「小川(brook)」を意味する「bourne」が合わさったものに由来すると言われている。実際、ホルボーン地区辺りには、昔フリート川(River Fleet)が流れていたことに起因してる。一方で、フリート川に流れ込んでいた古い川を意味する「Old Bourne」に由来するという説もある。
ホルボーン地区は、「Holborn District」(1855年)→「Metropolitan Borough of Holborn」(1900年)→「London Borough of Camden」(1965年)という変遷を辿っている。

ホルボーンサーカスの南東の角に建つ
St. Andrew Holborn 教会
St. Andrew Holborn 教会の入口アップ

ホルボーン地区の真ん中を、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)とシティー(City)を結ぶハイホルボーン通り(High Holborn)/ホルボーン通り(Holborn)が東西に貫いている。
19世紀頃には、ハイホルボーン通り/ホルボーン通りには宿屋や居酒屋(パブ)等が多く建ち並んでいたが、現在はオフィスビルやホテル等が増えてきている。スーパーマーケットのセインズベリーズ(Sainsbury's)の本社が入居しているビルも、上記の中に含まれる。近年、シティー内に流入する企業が増加しており、シティー内におけるオフィス供給に限界があるため、シティーに隣接するホルボーン地区内での不動産開発(特にオフィスビル)が進んでいる。オフィスビルやホテル等が建ち並ぶに従って、レストランや小売業のチェーン店等も通り沿いに集まってきている。

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