2016年4月23日土曜日

ロンドン チャリングクロスホテル(Charing Cross Hotel)

ストランド通り(Strand)越しに見たチャリングクロスホテルの全景

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を、彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)がスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)を伴って緊急の要件で訪れるところから、物語が始まる。
マイクロフトによると、同じ週の火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Station)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、死体となった彼のポケットから、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。

チャリングクロスホテルの入口

マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲート駅へと向かった。

ヴィラーズストリート(Villiers Street)から見上げた
チャリングクロスホテルの側面

マイクロフトの求めに応じて、事件の捜査を始めたシャーロックは、マイクロフトから提供された主な外国のスパイ情報を手掛かりに、ケンジントン(Kensington)のコールフィールドガーデンズ13番地(13 Caulfield Gardens)に住むヒューゴ・オーバーシュタイン(Hugo Oberstein)が今回の事件の黒幕であることを突き止める。ディリー・テレグラフ新聞の私事広告欄に奇妙な広告を見つけたシャーロックは、偽の広告を利用して、設計図を盗み出した実行犯を誘き寄せた。なんと、実行犯は、設計図盗難事件後に急死した潜水艦局長サー・ジェイムズ・ウォルター(Sir James Walter, the head of the Submarine Department)の弟ヴァレンタイン・ウォルター大佐(Colonel Valentine Walter)であった。彼は株取引の失敗により多額の借金を負い、破産の危機に追い込まれていたのである。

チャリングクロスホテルは、チャリングクロス駅に隣接して建っている

室内は静まり返っていた。その沈黙をマイクロフト・ホームズが破った。
「罪を償うつもりはないか?そうすれば、君の良心の痛みも和らぐぞ。そして、場合によると、君の処罰に対しても、何らかの考慮があるかもしれない。」
「どんな償いをすればよいのですか?」
「オーバーシュタインは設計図を持ってどこに居るんだ?」
「判りません。」
「奴は君に居場所を教えなかったのか?」
「パリのホテル・ド・ルーヴルに手紙を書けば、最終的には手元に届くと彼は言っていました。」
「それでは、まだ君ができる償いがある。」と、シャーロック・ホームズは言った。
「できることがあれば、何でもします。私は彼奴に対して特別な恩義は何もない。彼奴は私に破滅と転落を与えただけだ。」
「ここに紙とペンがある。この机に座って、僕が言う通りに手紙を書くんだ。そして、奴に言われた住所に封筒を送るんだ。それでいい。手紙の文面は...
拝啓ー我々の取引に関して、既にお気付きのことと存じますが、ある重要な詳細部分が一つ欠けております。架けたピースを埋める複写図を私は持っています。しかし、これで私は更なるトラブルに陥ってしまいました。よって、更に500ポンドの前金を支払ってもらう必要があります。郵便は信頼できないし、金貨と紙幣以外は受け付けていません。私は外国に居る貴殿のところへ行きたいのですが、私が今この国を離れると、人目を引きます。そこで、土曜日の正午にチャリングクロスホテルの喫煙室において、貴殿にお会いしたいと思います。英国紙幣か、あるいは、金貨以外は受け付けないことを念の為もう一度申し上げます。」
「これでうまく行くだろう。これで奴を誘き寄せられなければ、そちらの方が驚きだ。」

入口手前からチャリングクロスホテルを見上げたところ

There was silence in the room. It was broken by Mycroft Holmes.
'Can you not make reparation? It would ease your conscience, and possibly your punishment.'
'What reparation can I make?'
'Where is Oberstein with the papers?'
'I do not know.'
'Did he give you no address?'
'He said that letters to the Hotel du Louvre, Paris, would eventually reach him.'
'Then reparation is still within your power,' said Sherlock Holmes.
'I will do anything I can. I owe this fellow no particular goodwill. He has been my ruin and my downfall.'
'Here are paper and pen. Sit at this desk and write to my dictation. Direct the envelope to the address given. That is right. Now the letter:
DEAR SIR - With regard to our transaction, you will no doubt have observed by now hat one essential detail is missing. I have a tracing which will make it complete. This has involved me in extra trouble, however, and I must ask you for a further advance of five hundred pounds. I will not trust it to the post, nor will I take anything but gold or notes. I would come to you abroad, but it would excite remark if I left the country at present. Therefore I shall expect to meet you in the smoking room of the Charing Cross Hotel at noon on Saturday. Remember that only English notes, or gold, will be taken.'
'That will do very well. I shall be very much surprised if it does not fetch our man!'

チャリングクロス駅/チャリングクロスホテルの正面に
設置されている「エレアノールの十字架」

ホームズ達が実行犯であるヴァレンタイン・ウォルター大佐を使って、事件の黒幕ヒューゴ・オーバーシュタインを誘き出そうとしたチャリングクロスホテル(Charing Cross Hotel)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、チャリングクロス駅(Charing Cross Station)に隣接して建っている。
チャリングクロス駅は、サー・ジョン・ホークショー(Sir John Hawkshaw:1811年ー1891年)による設計に基づき、サウスイースタン鉄道(South Eastern Railway)が建設して、1864年1月11日に開業した。駅の開業から約1年4ヶ月後の1865年5月15日に、エドワード・ミドルトン・バリー(Edward Middleton Barry:1830年ー1880年)が設計したチャリングクロスホテルが開業し、現在も見られるフレンチ・ルネサンス様式の華麗な駅正面が完成したのである。
チャリングクロスホテルの開業に合わせて、清教徒革命(Puritan Revolution:1641年ー1649年)時の1647年に破壊された「ホワイトホール王宮の十字架(Whitehall Cross)」をモデルにして、「エレアノールの十字架(Eleanor Cross)」(これについても、エドワード・ミドルトン・バリーが設計)が駅/ホテル正面に設置された。

チャリングクロスホテルの入口に
「Amba Hotel Charing Cross」という表示が掲げられている

チャリングクロスホテルは、現在、「Amba Hotel Charing Cross」という名前で営業している。

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