2015年4月25日土曜日

ロンドン ハムステッドヒース(Hampstead Heath)

ハムステッドヒース入口に立つ標識

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)において、シャーロック・ホームズは、レディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)からの依頼を受けて、彼女が昔出した手紙をロンドン一の悪党かつ恐喝王であるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)から取り戻そうしていた。彼女は2週間後にドーヴァーコート伯爵(Earl of Dovercourt)との結婚式を控えていた。残念ながら、彼女には、ミルヴァートンによる恐喝に対処できるだけの金銭的な余裕はない上、彼女が昔出した手紙が表に出てスキャンダルになった場合、2週間後に予定されている結婚が破談になることは間違いなかった。

ウィローロード(Willow Road)とイーストヒースロード(East Heath Road)に
挟まれたハムステッドヒース手前の緑地帯

レディー・エヴァ・ブラックウェルを絶望的な状況から救い出すために、ホームズとジョン・ワトスンはミルヴァートンの屋敷に夜間侵入して、彼女の手紙を盗み出す計画を立てたのであった。事前にホームズが職人に変装し、メイドを口説いて入手した情報に基づき、ミルヴァートンの屋敷に無事侵入したホームズとワトスンであったが、予期せぬ事態が彼らを待っていた。ミルヴァートンの部屋には別の来客、黒いヴェールを架けた貴婦人が既に居たのである。彼女は昔ミルヴァートンによって人生を破滅させられており、その復讐のためにやって来たのだった。彼女が取り出したレボルバーからミルヴァートンに向け、連続して発射される銃弾。屋敷内に響き渡る銃声。床に倒れ伏すミルヴァートンを尻目にして姿を消す謎の貴婦人。その混乱の最中、ホームズとワトスンはレディー・エヴァ・ブラックウェルの手紙を暖炉の火の中へくべて、無事処分したのであった。

サウスエンドロード(South End Road)沿いのハムステッドヒース
この向こうにハムステッドヒース第一池(Hampstead No. 1 Pond)がある

警報がこれ程早く屋敷内に伝わるとは信じられなかった。振り返って見てみると、大きな屋敷内が煌々と灯りで照らされていた。表扉が開き、何人かが私設車道を駆け下りて行った。屋敷前の庭全体が人で一杯になっていて、私達がベランダから姿を現すと、誰かが「侵入者を見つけたぞ!」と言う声をあげ、私達の後を追いかけて来た。ホームズは敷地内を熟知しているようで、小さな樹々の植え込みの間を素早く縫うように駆け抜けた。私はホームズのすぐ後を追いかけ、そして、最初の追跡者が私達の後を息を切らしながらついて来た。私達の行く手を遮る壁は6フィートの高さがあったが、ホームズは壁の上に跳び上がり、乗り越えて行った。私もホームズと同じように壁の上に跳び上った際、私達を追跡していた男の手が私の足首をつかむのを感じた。しかし、私はその男を蹴り飛ばして振りほどくと、草の生えた笠石をよじ登るようにして越えた。私は下の茂みの中にうつ伏せに落下したが、直ぐにホームズが私を助け起こしてくれた。そして、私達は一緒に広大なハムステッドヒースを横切るように駆け抜けたのだ。遂にホームズが立ち止まって耳を澄ませるまでに、私達はゆうに2マイル(約3.2キロ)走ったようだ。私達の背後は静寂に包まれており、物音一つしなかった。私達は追跡者を完全に振り切って、危機を脱したのである。

ハムステッドヒースレーン(Hampstead Lane)から
ケンウッドハウスに至るノースウッド(North Wood)の森

I could not have believed that an alarm could have spread so swirly. Looking back, the huge house was one blaze of light. The front door was open, and figures were rushing down the drive. The whole garden was alive with people, and one fellow raised a view-halloa as we emerged from the veranda and followed hard at our heels. Holmes seemed to know the ground perfectly, and he threaded his way swiftly among a plantation of small trees, I close at his heels, and our foremost pursuer panting behind us. It was a six-foot wall which barred our path, but he sprang to the top and over. As I did the same I felt the hand of the man behind me grab at my ankle; but I kicked myself free and scrambled over a glass-strewn coping. I fell upon my face among some bushes; but Holmes had me on my feet in an instant, and together we dashed away across the huge expanse of Hampstead Heath. We had run two miles, I suppose, before Holmes at last halted and listened intently. All was absolute silence behind us. We had shaken off our pursuers and were safe.

ケンウッドハウス横にある小トンネル
奥に見えるのが、ハムステッドヒース
ハムステッドヒース側から見たケンウッドハウス横の小トンネル

ホームズとワトスンが駆け抜けたハムステッドヒース(Hampstead Heath)は、ハムステッド(Hampstead)の北側に広がる丘陵で、ヒース(Heath)と呼ばれる低木が一面に生い茂っていることから、その様に呼ばれている。丘陵のあちこちに18世紀のコテージ、ヴィクトリア朝様式の家や池が点在している。ハムステッドヒースの大部分はロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)内にあるが、1989年以降、管理はコーポレーション・オブ・ロンドン(Corporation of London)によって行われている。
ハムステッドヒースの歴史は10世紀後半まで遡るが、当時は「Hempstede」と呼ばれていた。11世紀後半から12世紀前半にかけて、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)が所有していたが、貴族等個人の所有を経て、19世紀から20世紀にかけて、ロンドン市当局が購入を徐々に進め、現在に至っている。

ケンウッドハウス側から見たハムステッドヒース
夏場には、ここで野外コンサートが開催される

ハムステッドヒースの北端には、ケンウッドハウス(Kenwood House)が建っている。現在は、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)が管理する美術館となっているが、以前は貴族の館であった。

ケンウッドハウスの正面玄関と両脇にあるウィング

ケンウッドハウスの歴史は17世紀前半まで遡る。
英国で著名な判事であった初代マンスフィールド伯爵ウィリアム・マレー(William Murray, 1st Earl of Mansfield:1705年ー1793年)は、仕事の拠点をスコットランドからロンドンに移したため、1754年にケンウッドハウスと周辺の土地を購入し、彼と同じスコットランド出身の建築家ロバート・アダム(Robert Adam:1728年ー1792年)にケンウッドハウスの改修を依頼した。ロバート・アダムは、1764年から1779年までの16年の歳月をかけて、ケンウッドハウスの外観および内装の改修を終えた。北側に面している正面玄関は巨大なイオニア式石柱を備えた柱廊となり、南側に面している裏面は、既に存在していた西側の温室とバランスをとるため、東側に図書室を増築した上、真っ白なファサードを備えた、まさに「白亜の館」となっている。
その後、1793年から1796年にかけて、ジョージ・ソンダース(George Saunders)が正面玄関の両脇に2つのウィングを増築している。

「白亜の館」と呼ばれるケンウッドハウスの裏面

20世紀に入って、新たに法制化された相続税の関係で、マンスフィールド伯爵家による維持が困難となり、ケンウッドハウスの売却を決定。そして、1925年にギネスビール社会長の初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネス(Edward Cecil Guinness, 1st Earl of Iveagh:1847年ー1927年)が購入した。その2年後の1927年、彼が死去した際、ケンウッドハウスは、彼が購入後に展示していた絵画コレクションと一緒に、国に遺贈されて、現在に至っている。

ケンウッドハウス内の図書室の天井装飾

現在、ケンウッドハウス内に展示されている絵画コレクションの中でも、
(1)オランダ人画家レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz Van Rijn:1606年ー1669年)晩年の「自画像(Portrait of the Artist)」
(2)オランダ人画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer:1632年ー1675年)の「ギターを弾く女(The Guitar Player)」
(3)英国人画家トマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)の「ハウ伯爵夫人メアリーの肖像(Mary, Countess of Howe)」
の3作品が特に有名である。

0 件のコメント:

コメントを投稿