2014年10月19日日曜日

ロンドン ウォータールー駅(Waterloo Station)

ウォータールー駅の正面玄関

サー・アーサー・コナン・ドイル作「五つのオレンジの種(The Five Orange Pips)」では、1887年9月のある嵐の激しい夜、ホーシャム(Horsham)に住むジョン・オープンショー(John Openshaw)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を事件の相談に訪れる。
ジョン・オープンショーによると、米国で一財産を築いて英国に帰って来た伯父のイライアス・オープンショー(Elias Openshaw)は、1883年3月にある封筒を受け取る。その封筒には「KKK」と書かれ、その中には五つのオレンジの種が入っていた。その7週間後、つまり、1883年5月のある夜、アオミドロが浮いた池で彼が死んでいるのが発見された。
ジョンの父のジョーゼフ・オープンショー(Joseph Openshaw)も、1885年1月に同じ封筒を受け取った。そして、その3日後、彼は友人宅を訪問するために外出したが、近くにある白亜坑に転落して死亡しているのが判った。
それから2年8ヶ月の間、何事もなく経過したが、同じ封筒がついにジョン・オープンショーの元にも届いたのである。封筒の消印はロンドン東地区(London-eastern division)となっており、封筒の中には、五つのオレンジの種の他に、「書類を日時計の上に置け!(Put the papers on the sundial.)」と書かれた紙が入っていた。
事態を重くみたホームズは彼に注意を促すとともに、彼の伯父が残した謎めいた記述(1869年3月という見出し付き)について、「他の書類は全て伯父が燃やしてしまい、これが唯一残っている紙である。」と書いたものを一緒に真鍮の箱に入れて、指示通り日時計の上に置くよう指示する。そして、ホームズはジョン・オープンショーにどのようにホーシャムに戻るのか尋ねると、彼は「ウォータールー駅から列車で帰ります。(By train from Waterloo.)」と答えた。

ウォータールー駅のメインコンコース
—天井から吊り下げられている構内表示板

ウォータールー駅(London Waterloo Station)は、テムズ河(River Thames)南岸のランベス・ロンドン特別区(London Borough of Lambeth)にある主要な複合ターミナル駅である。
ウォータールー駅の名前は、1815年にイギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍がフランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍を破った「ワーテルローの戦い(Battle of Waterloo)」に由来している。
当駅は、(1)イングランド南西部方面へ運行するサウスウェスタン本線(South Western Main Line)等が発着するウォータールー・メインライン駅(Waterloo Mainline Station)を中心として、(2)ベーカールーライン/ジュビリーライン/ノーザンライン/ウォータールー&シティラインが通るウォータールー地下鉄駅(Waterloo Tube Station)や(3)ウォータールー・イースト駅(Waterloo East Station)が隣接している。上記3つに加えて、(4)ウォータールー国際駅(Waterloo International Station)がフランス/パリやベルギー/ブリュッセルへ向かうユーロスターの英国側ターミナル駅となっていたが、英国内におけるユーロスター高速運転対応のため、英国側ターミナル駅がセントパンクラス駅(St. Pancras Station)に移った関係上、現在は閉鎖されている。現時点では、英国側ターミナル駅移転後の旧ウォータールー国際駅の利用策に関しては未定である。

ウォータールー駅の構内—当時の壁が保存されている。

ウォータールー・メインライン駅は、1848年7月に「ウォータールー橋駅」として開業。当初は、通過式駅として意図されていたが、実際には、シティまでの乗り入れは行われていない。19世紀後半になると、駅構内は散らかり、崩壊の危険性があった。
そのため、駅全体を取り壊して、新たに建設することが決定。新駅の建設は1900年に開始し、1922年まで続いた。「五つのオレンジの種」事件は1887年9月に発生しているので、時期的には、ウォータールー・メインライン駅の取り壊しが始まる少し前だったと言える。
再建された新駅は、21のプラットフォームと244mのコンコースを誇っていたが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、ドイツからの爆撃により甚大な損害を被り、その後、かなりの期間と費用を要して再建されたのである。
再建されたメインコンコースの中央上部には、4面の大時計が吊り下げられており、伝統的に集合場所として使用されている。

ウォータールー駅のメインコンコース中央上部から
吊り下げられている4面の大時計

本作品では、事件の発生時期に矛盾がみられる。
ジョン・オープンショーがベーカーストリート221Bを辞した後、ホームズとジョン・ワトスンが「四つの署名(The Sign of the Four)」事件に言及する場面がある。「五つのオレンジの種」事件は1887年9月に発生しているが、「四つの署名」事件は1年先の1888年9月に発生している。つまり、「五つのオレンジの種」事件の際に、まだ発生していない「四つの署名」事件が言及されているのである。

「まだらの紐(The Speckled Band)」において、ヘレン・ストーナー(Helen Stonor)が、姉ジュリア・ストーナー(Julia Stonor)が遂げた謎の死、そして、自分に現在降りかかっている不安と恐怖について相談するため、サリー州(Surrey)にあるストークモラン屋敷(Stoke Moran Manor)を早朝に出て、レザーヘッド(Leatherhead)から一番列車に乗り、ウォータールー駅に到着、ベーカーストリート221Bのホームズの元を訪れている。

「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」では、ヘンリー・バスカヴィル卿(Sir Henry Baskervilles)はウォータールー駅に着いた後、テムズ河の対岸にあるノーサンバーランド ホテル(Northumberland Hotel:ノーサンバーランド アヴェニュー(Northumberland Avenue)とノーサンバーランド ストリート(Northumberland Street)が出会うところにあり、現在は、シャーロック・ホームズ パブ(Sherlock Holmes Pub)として営業している。)に宿泊している。

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