2014年10月5日日曜日

ロンドン レドンホールストリート(Leadenhall Street)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「花婿失踪事件(A Case of Identity)」において、メアリー・サザーランド(Mary Sutherland)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れる。彼女は、ガス管取付業界の舞踏会(gasfitters' ball)でホズマー・エンジェル(Hosmer Angel)という男性と出会い、間もなく婚約する。彼女の義理の父親が留守にしている時に、彼らは結婚することになり、別々の馬車で教会に到着し、メアリーと彼女の母親は別の馬車からホズマーが出てくるのを待つが、彼はその馬車から一向に出てこない。御者が降りて馬車の中を見てみると、そこにホズマーの姿はなく、彼は忽然と消えてしまったのである。メアリーはホームズに、ホズマーの消息を捜してほしいと依頼する。
メアリーによると、行方不明になったホズマーはレドンホールストリートにある事務所で出納係として働いていて(Hosmer - Mr. Angel - was a cashier in an office in Leadenhall Street.)、寝起きもその事務所でしている(He slept on the premises.)と言う。ホームズが驚いたことに、メアリーは、ホズマーが働いている事務所の住所を、レドンホールストリート以外、全く知らなかったのである。

レドンホールストリート沿いに建つロイズ保険の本社ビル「ロイズビル」

ロンドンの金融街シティー・オブ・ロンドン(City of Londonー別名:1マイル四方(Square Mile))内にあるレドンホールストリートに面して、現在、ロイズ保険(Lloyd's of London)の本社ビル「ロイズビル(Lloyd's Buildingー別名: Inside-Out Building)」が建っている。ロイズ保険は、17世紀創業のコーヒーハウスから始まった世界最大の保険会社である。
1688年、創業者のエドワード・ロイド(Edward Lloyd:1648年ー1713年)が始めたコーヒーハウスは、次第に銀行家、保険業者、商人や荷主等が集まる場となった。そして、港の船荷情報を載せた日刊「ロイズリスト(Lloyd's List)」を発行したことが、今日のロイズ保険の前身となっている。

パリのポンピドウーセンター(Pompidou Centre)を手がけたリチャード・ロジャーズ(Richard Rogers:1933年ー)が現在の本社ビルの設計を担当し、スチールとガラスに覆われたハイテクなビルが出来上がった。1978年に建設工事が始まり、1986年に竣工。アンテナを含めた高さは 95.1m で、アンテナを除くと 88m になる。
竣工当初は、その斬新奇抜なデザインゆえに、周囲の古風なビル街とは全く合わず、非常に目立っていたが、周囲のビル群が次第に建て替えられ、近代的なビルが増えてくるにつれて、現在はそれ程大きな違和感はなくなっている。

レドンホールストリートは英国の郵便番号「EC3」内にあり、現在、ロイズ保険が所在していることもあって、この近辺には他の保険会社も数多くひしめきあっている。ロイズ保険の本社ビルの撮影に行った日の午後も、ビルの玄関を多くの保険会社スタッフがひっきりなしに出入りしていた。

スチールとガラスに覆われたハイテクな「ロイズビル」

また、ロイズ保険の本社ビルに隣接して、レドンホール・マーケット(Leadenhall Market)がある。通り全体を屋根が覆うアーケード型の市場街で、当初、屋根が鉛板で葺いてあったため、この名前で呼ばれている。
歴史はローマ時代まで遡り、ロンドン大火(1666年)で焼失した後、何度も建替が行われ、現在残っているのは1881年に建てられたものである。元々、肉、魚やワイン等の小売店が立ち並ぶ市場であったが、周辺をオフィスビルに取り囲まれているので、それらのオフィスビルで働くビジネスマン達をあてこんだパブ、カフェやサンドイッチショップ等の方が逆に増えてきているのが現状である。

「ロイズビル」に隣接するレドンホールマーケット

短編第3作目の「花婿失踪事件」には、一つ面白い話がある。
当作品は「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年9月号に発表されているが、前月の8月号に掲載された短編第2作目の「赤毛組合(The Red-Headed League)」の冒頭、ジョン・ワトスンとの会話の中で、ホームズがメアリー・サザーランドの名前を出して、「花婿失踪事件」に言及する場面が既にある。実は、ドイルの研究者が彼の原稿や書簡等を調査した結果、「赤毛組合」よりも「花婿失踪事件」の方が先に執筆されたことが判明している。
それでは、何故、「花婿失踪事件」と「赤毛組合」の発表順が前後したのか?
それは、ドイルの著作権代理人である A. P. ワットが「ストランドマガジン」の編集部宛に上記の2作を同時に送付したため、編集部側が2作の順番を間違えて掲載したのが原因ではないかと一般に考えられている。よって、「ストランドマガジン」上、「花婿失踪事件」よりも「赤毛組合」の方が先に掲載されることになり、「赤毛組合」の冒頭で、あたかも「花婿失踪事件」が既に発表済のような表現になっているのである。

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