2014年8月9日土曜日

ロンドン バーリーストリート12番地(12 Burleigh Street)

バーリーストリート12番地の建物全景

ストランド通り(Strand)から北に延びるバーリーストリート(Burleigh Street)の12番地にある建物は、シャーロック・ホームズファン(=シャーロキアン)にとっての聖地と言える。サー・アーサー・コナン・ドイル作のホームズ物語が掲載されていた「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」は、ここで創刊されたのである。この場所は、「四つの署名(The Sign of the Four)」事件の舞台となったライシアム劇場(Lyceum Theatre)のすぐ裏手に位置している。

「ストランドマガジン」は、英国で出版されていた月刊誌で、ジョージ・ニューンズ(George Newnes:1851年ー1910年)により一般大衆向けに創刊され、1891年1月から1950年3月までの約60年間の長きにわたって発刊された。
創刊当時、全てのページに挿絵を付して、「6ペンスの値段で、1シリングの価値がある月刊誌(A monthly magazine costing six pence but worth a schilling)」というキャッチフレーズで販売を行った。

ホームズ物語の第1作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(長編)は1887年11月発行の「ビートンのクリスマス年間」に、第2作「四つの署名」(長編)は「リピンコット・マンスリー・マガジン」(1890年2月発行)に掲載されたが、これらは当時あまり評判にならなかった。その後、他誌との差別化を図っていた「ストランドマガジン」からの依頼を受けて、コナン・ドイルは第3作の「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」(短編)を執筆し、これが同誌の1891年7月号に掲載された。するとホームズ物語は読者の間で爆発的な人気となり、以降、同誌で連載が続いた。最終的には、1927年4月号「ショスコム・オールド・プレイス(Schoscombe Old Place)」までの35年以上の期間にわたって、計58作(長編2作+短編56作)が同誌に掲載され、コナン・ドイルとホームズは今に至る不動の人気を勝ち得たのである。

北側からバーリーストリート12番地の建物を見たところ

彼らの人気を支えた陰の功労者として、挿絵画家のシドニー・パジェット(Sidney Paget:1860年 - 1908年)が挙げられる。彼が描く、鹿撃ち帽(ディアストーカー)を頭にかぶり、インヴァネスコートを両肩にはおり、そして、右手にパイプを持ったおなじみのホームズ像が、コナン・ドイルとホームズの人気を決定付けたと言っても、過言ではない。残念ながら、彼は、ホームズ物語の連載の途中で、若くして世を去り、連載が終わるまでの間、何人かの挿絵画家達が彼の跡を引き継いで挿絵を描いた。

の後、「ストランドマガジン」は、第二次世界大戦中に紙の配給制限を受けたため、雑誌のサイズを縮小する等の対処を行うものの、紙のコストアップの影響を大きく受けて、資金調達が立ち行かなくなり、惜しまれつつ1950年3月廃刊に至った。

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