2020年4月25日土曜日

ロンドン デットフォード水域(Deptford Reach)–その2

テムズ河越しに、カナリーワーフ(Canary Wharf)側から見たデットフォード方面(その1)

16世紀以降、デットフォード(Deptford)は、王立造船所 / 修理ドック(Deptford Dockyard / 1st Royal Navy Dockyard)が置かれた場所として大きく発展したが、

(1)デットフォードで造られた大型の船がテムズ河(River Thames)を航行することが困難であったこと
(2)デットフォードに対抗する造船所 / 修理ドックが英国南岸のプリマス(Plymouth)やポーツマス(Portsmouth)等に建設されたこと
(3)1815年に対ナポレオン戦争(Napoleonic Wars)が終わり、戦艦を造船したり、修理する必要性が少なくなったこと

等から、19世紀に入り、デットフォードにおける造船業が次第に衰退し、1869年に王立造船所 / 修理ドックが閉鎖されてしまう。
サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Cona Doyle:1859年-1930年)がシャーロック・ホームズシリーズ長編第2作目の「四つの署名(The Sign of the Four)」を発表したのは、1890年であるが、「四つの署名」事件が発生したのは、1888年なので、デットフォードの造船業が衰退して、王立造船所 / 修理ドックが閉鎖した後である。

テムズ河越しに、カナリーワーフ側から見た
デットフォード方面(その2)

その後、王立造船所 / 修理ドックの跡地は、1871年からシティー・オブ・ロンドン自治体(City of London Corporation)によって市場として使用されたが、第一次世界大戦(1914年ー1918年)の勃発に伴い、英国政府の戦争局(War Office)の管理下に移り、第二次世界大戦(1939年ー1945年)まで英国陸軍の兵站場所 / 補給廠/ 物資集積所として使用された。
第二次世界大戦後、1984年まで跡地は未使用のままに置かれたが、何度か所有者が変わり、現在、跡地に約3、500件の住宅を建設する計画が進められている。

テムズ河越しに、カナリーワーフ側から見た
デットフォード方面(その3)

1869年に王立造船所 / 修理ドックが閉鎖した後、他にもあった造船所 / 修理ドックも次々と閉鎖の憂き目に会い、最後に残った造船所 / 修理ドックは2000年に閉鎖され、高い失業率を抱えたデットフォードとしては、衰退の危機を迎えている。

テムズ河越しに、カナリーワーフ側から見た
デットフォード方面(その4)

ロンドンの南東部に位置する特別区のロンドン・ルイシャム区(London Borough of Lewisham)としては、私企業呼び込んで、デットフォードのテムズ河沿い地域や町の中心部を再開発しようとしているが、かなり苦戦しているようである。

テムズ河越しに、カナリーワーフ側から見た
デットフォード方面(その5)

デットフォードは、元々、ケント州(Kent)の一部であったが、1965年にロンドン特別区の一つであるロンドン・ルイシャム区内に編入されている。

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