2020年4月11日土曜日

ロンドン デットフォード水域(Deptford Reach)–その1

テムズ河越しに、カナリーワーフ(Canary Wharf)側から見たデットフォード方面(その1)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)において、独自の捜査により、バーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)を殺害した犯人達の居場所を見つけ出したシャーロック・ホームズは、ベーカーストリート221Bへスコットランドヤードのアセルニー・ジョーンズ警部(Inspector Athelney Jones)を呼び出す。ホームズは、呼び出したアセルニー・ジョーンズ警部に対して、バーソロミュー・ショルトの殺害犯人達を捕えるべく、午後7時にウェストミンスター船着き場(Westminster Stairs / Wharf→2018年3月31日 / 4月7日付ブログで紹介済)に巡視艇を手配するよう、依頼するのであった。

カナリーワーフ側からシティー・オブ・ロンドン方面を望む

巡視艇がウェストミンスター船着き場を離れると、ホームズはアセルニー・ジョーンズ警部に対して、巡視艇をロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)方面へと向かわせ、テムズ河(River Thames)の南岸にあるジェイコブソン修理ドック(Jacobson’s Yard)の反対側に船を停泊するよう、指示した。ホームズによると、バーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達は、オーロラ号をジェイコブソン修理ドック内に隠している、とのことだった。
ホームズ達を乗せた巡視艇が、ロンドン塔近くのハシケの列に隠れて、ジェイコブソン修理ドックの様子を見張っていると、捜していたオーロラ号が修理ドックの入口を抜けて、物凄い速度でテムズ河の下流へと向かった。そうして、巡視艇によるオーロラ号の追跡が始まったのである。

ホームズ、ワトスンやジョーンズ警部達を乗せた巡視艇は、
バーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達を乗せたオーロラ号を追って、
画面奥の方から、テムズ側を下って来た。

「石炭をくべろ!おい、もっとくべるんだ!」と、巡視艇の機関室を覗き込みながら、ホームズが叫んだ。彼の必死で鷲のような顔を、石炭の炎が発する凄まじい光が下から照らしていた。「ありったけの蒸気を出すんだ!」
「少し差が縮まったようだ。」と、オーロラ号に目をやって、ジョーンズ警部は言った。
「間違いない。」と、私も言った。「もう少しで、オーロラ号に追い付くぞ。」
しかし、その瞬間、運が悪いことに、三艘のはしけを引いたタグボートが、私達の間に入り込んできた。舵を激しく下手に切って、巡視艇はなんとか衝突を回避したが、タグボートを回り込んで、元の航路に戻った時には、オーロラ号は既に200ヤードを稼いでいた。しかし、オーロラ号は、視界の中にまだ捉えることができた。そして、暗くて、ぼんやりとした夕暮れは、くっきりと星が光る夜空へと変わりつつあった。私達が乗った巡視艇のボイラーは、極限でフル回転で、脆い外殻は巡視艇を推進させる凄まじいエネルギーで振動して、軋んだ。巡視艇は、淀みを突っ切ると、西インドドックを過ぎ、長いデットフォード水域を下り、そして、ドッグ島を回り込んで、また、テムズ河を北上した。私達の前にあった不鮮明なものは、今や、優美なオーロラ号の姿へとハッキリと変わったのである。

テムズ河は、西インドドック(画面右奥)に突き当たると、
南側(画面左奥)へと向かって、大きく蛇行している。

‘Pile it on, men, pile it on!’ cried Holmes, looking down into the engine-room, while the fierce glow from below beat upon his eager, aquiline face. ‘Get every pound of steam you can!’
‘I think we gain a little,’ said Jones, with his eyes on the Aurora.
‘I am sure of it,’ said I. ‘We shall be up with her in a very few minutes.’
At that moment, however, as our evil fate would have it, a tug with three barges in tow blundered in between us. It was only by putting our helm hard down that we avoided a collision and before we would round them and recover our way the Aurora had gained a good two hundred yards. She was still, however, well in view, and the murky, uncertain twilight was setting into a clear starlit night. Our boilers were strained to their utmost, and the frail shell vibrated and creaked with the fierce energy which was driving us along. We had shot through the Pool, past the West India Docks, down the long Deptford Reach, and up again after rounding the Isle of Dogs, The dull blur in front of us resolved itself now clearly enough into the dainty Aurora.

テムズ河越しに、カナリーワーフ(Canary Wharf)側から見た
デットフォード方面(その2)

ホームズ、ワトスンとスコットランドヤードのジョーンズ警部達が乗った巡視艇が、バーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達が乗ったオーロラ号を追跡して、西インドドック(West India Docks→2020年3月28日 / 4月4日付ブログで紹介済)を通り過ぎた後に下ったデットフォード水域(Deptford Reach)の名前の由来となるデットフォード(Deptford)は、ロンドンの南東部に位置する特別区のロンドン・ルイシャム区(London Borough of Lewisham)内に所在する町である。

テムズ河越しに、カナリーワーフ(Canary Wharf)側から見た
デットフォード方面(その3)

デットフォードという町の名は、「deep(深い)」と「ford(浅瀬)」が合わさった上で転化して、「Deptford」となったようで、イングランドの詩人であるジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer:1343年頃ー1400年)作「カンタベリー物語(Canterbury Tales)」でも記されているが、ロンドン市内からカンタベリー(Canterbury)までの巡礼路上に該り、発展してきた。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の構内にある
ポートレートギャラリー(Portrait Gallery)をテーマにした壁画(その1)–
画面の一番右側が、ヘンリー8世

また、デットフォードは、テムズ河(River Thames)沿いに所在しているため、漁村としても発展したが、テューダー朝第2代のイングランド国王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)が当地に最初の王立造船所 / 修理ドック(Deptford Dockyard / 1st Royal Navy Dockyard)を建設したことにより、デットフォードが英国内で果たす役割は、非常に重要となった。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の構内にある
ポートレートギャラリー(Portrait Gallery)をテーマにした壁画(その2)–
画面の右側が、エリザベス1世

テューダー朝第5代にして最後の君主となったエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年ー1603年)が、フランシス・ドレイク(Francis Drake:1543年頃ー1596年)にナイトの爵位を授けるため、1581年4月にデットフォードにある王立造船所 / 修理ドックを訪れている。なお、フランシス・ドレイクは航海者や海賊として知られているが、1588年に英仏海峡で行われたアルマダ海戦(Battle of Armada)において、彼はイングランド艦隊の司令官として、スペインの無敵艦隊を撃破した功績により、英国内では英雄視されている。

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