2017年6月3日土曜日

ロンドン ペッカム(Peckham)/メイフィールドプレイス3番地(3 Mayfield Place)

ブリクストン地区からペッカム地区へ向かう途中(その1)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)の冒頭、1878年にジョン・H・ワトスンはロンドン大学(University of Londonー2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospitalー2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。

ブリクストン地区からペッカム地区へ向かう途中(その2)

英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospitalー2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。

ブリクストン地区からペッカム地区へ向かう途中(その3)

こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Streetー2014年6月22日/6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。彼らが共同生活を始めて間もなく、ホームズの元にスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)から事件発生を告げる手紙が届く。ホームズに誘われたワトスンは、ホームズと一緒に、ブリクストンロード(Brixton Roadー2017年5月20日付ブログで紹介済)近くの現場ローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardensー2017年3月4日付ブログで紹介済)へと向かった。ホームズ達が到着した現場には、グレッグスン警部とレストレード警部(Inspector Lestrade)が二人を待っていた。現場で死亡していたのは、イーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の名刺を持つ、立派な服装をした中年の男性だった。

ブリクストン地区からペッカム地区へ向かう途中(その4)

イーノック・J・ドレッバーの死体を発見したのは、ジョン・ランス巡査(Constable John Rance)であるという話をレストレード警部から聞くと、ホームズとワトスンの二人は、早速、彼が住むケニントンパークゲート(Kennington Park Gate)のオードリーコート46番地(46 Audley Courtー2017年3月25日付ブログで紹介済)へと向かう。そこで、ジョン・ランス巡査から死体発見の経緯を聞いたホームズは、ワトスンに対して、「彼は犯人を捕まえられる絶好のチャンスをみすみすとふいにしたのさ。」と嘆くのであった。

ブリクストン地区からペッカム地区へ向かう途中(その5)

イーノック・J・ドレッバーの死体を持ち上げた際、床に落ちた女性の結婚指輪に気付いたホームズは、この指輪が犯人に繋がるものだと考え、朝刊全紙に広告を掲載して、
(1)金の結婚指輪がブリクストンロード近くのパブ「ホワイトハート(White Hart)」とホーランドグローヴ通り(Holland Grove)の間の道路で見つかったこと
(2)落とし主は、今晩8時から9時までの間に、ベーカーストリート221Bのワトスン博士を訪ねること
と告げるのであった。
そして、ホームズの予想通り、午後8時を過ぎた頃、彼らの部屋を訪ねて来た人が居た。

ただし、ホームズの予想に反して、ベーカーストリート221Bにやって来たのは、非常に年老いて、皺だらけの女性だった。その老婆は「新聞の広告に出ていた金の結婚指輪は、娘のサリー(Sally)が、昨夜サーカスを観に行った途中で、落としたものだ。」と語る。そして、ワトスンに住所を尋ねられた彼女は、「ハウンズディッチ(Houndsditchー2017年5月27日付ブログで紹介済)のダンカンストリート13番地(13 Duncan Street)と答えるのであった。すると…

ブリクストン地区からペッカム地区へ向かう途中(その6)

「ハウンズディッチとサーカスの間には、ブリクストンロードはない筈だが?」と、ホームズは鋭い口調で言った。
老婆はホームズの方へ顔を向けると、赤く縁取られた小さな目で、彼を鋭く見つめた。
「この方(=ワトスン)は、私の住所を尋ねられたんです。」と、彼女は言った。「娘のサリーは、ペッカムのメイフィールドプレイス3番地に住んでいます。」
「あなたの御名前は?」
「私の名前は、ソーヤーです。ー娘はデニスです。トム・デニスと結婚しましたので。ー娘の夫は、航海に出ている間は、きびきびとした格好の良い人で、会社でも申し分のない給士ですが、陸に上がると、女や酒場に溺れてしまうんです。」
「ソーヤーさん、これが捜されていた指輪です。」と、ホームズの合図に従って、私は話を遮った。「間違いなく、あなたの娘さんのものだ。本来の持ち主にこの指輪を無事返すことができて、私も嬉しいよ。」
老婆は、祝福と感謝の言葉をぼそぼそと言うと、指輪をポケットにしまい、足を引き摺って階段を降りて行った。彼女が姿を消すと同時に、ホームズは椅子から立ち上がり、自分の部屋へ駆け込んだのである。

ブリクストン地区からペッカム地区へ向かう途中(その7)

“The Brixton Road does not lie between any circus and Houndsditch.” Said Sherlock Holmes sharply.
The old woman faced round and looked keenly at him from her little red-rimmed eyes. 
“The gentleman asked me for my address,” she said. “Sally lives in lodgings at 3, Mayfield Place, Peckham.”
“And your name is ―?”
“My name is Sawyer - her’s is Dennis, which Tom Dennis married her - and a smart, clean lad, too, as long as he’s at sea, and no steward in the company more thought of; but when on shore, what with the women and what with the liquor shops -“
“Here is your ring, Mrs. Sawyer.” I interrupted, in obedience to a sign from my companion; “it clearly belongs to you daughter, and I am glad to be able to restore it to the rightful owner.”
With many mumbled blessings and protestations of gratitude the old crone packed it away in her pocket, and shuffled off down the stairs. Sherlock Holmes sprang to his feet the moment that she was gone and rushed into his room.

ブリクストン地区からペッカム地区へ向かう途中(その8)

イーノック・J・ドレッバーの殺害現場で見つかった金の結婚指輪の持ち主だと、老婆のソーヤーが主張する娘のサリーが住むペッカム地区(Peckham)は、テムズ河(River Thames)の南岸にあるロンドン・サザーク区(London Borough of Southwark)内に所在している。
ペッカムは、「ペック川(River Peck)の畔り(ほとり)の村」を意味するサクソン語が語源となっている。

16世紀頃、富裕な市民がペッカムに住み始めるようになり、18世紀になると、ロンドン市内における高い家賃を嫌う起業家達が工場等の商業施設をペッカムに移すようになる。1865年にペッカムライ駅(Peckham Rye Station)ができ、鉄道が通ると、ペッカム一帯は更なる発展を遂げる。
ただ、1970年代に入り、英国全体の産業が衰退し、失業率が高くなってくると、ペッカム地区では、特に破壊行為(vandalism)、落書き、放火、強盗、盗難やひったくり等の犯罪が多く発生し、ロンドンでも最悪な地区に陥った。
そのため、1990年代から2000年代にかけて、英国政府は多額な資金を投入して、ペッカム地区全体の再開発を実施している。
現在、ペッカム地区は、多種多様な人種(アフリカ人、英国人、カリブ海、中国人、アイルランド人、バングラディッシュ人、インド人やパキスタン人等)が住む地区となっている。

ちなみに、娘のサリーが住むと老婆のソーヤーが主張する「メイフィールドプレイス3番地(3 Mayfield Place)」は、現在の住所表記上存在せず、架空の場所である。

0 件のコメント:

コメントを投稿