2020年7月6日月曜日

ヘレン・マクロイ作「暗い鏡の中に」(Through A Glass, Darkly by Helen McCloy)

英国の Arcturus Publishing Limited から
 Crime Classics シリーズの一つとして出版されている
ヘレン・マクロイ作「暗い鏡の中に」の表紙–
物語の終盤におけるフォスティーナの非常に重要なシーンが描かれているが、
なにかアメコミ(アメリカン・コミック)調の絵柄のため、
若干いただけない感じがする、
できれば、もっと幻想的な描写の表紙にしてもらいたかった。

作者のヘレン・マクロイ(Helen McCloy:1904年ー1994年)は、米国ニューヨーク市出身の女性推理作家で、1938年に「死の舞踏(Dance of Death)」でデビュー。精神科医であるベイジル・ウィリング博士(Dr. Basil Willing)シリーズ13作の他に、本格ミステリーから怪奇・ホラー風味のサスペンス等、16作を発表している。本作品「暗い鏡の中に(Through A Glass, Darkly)」(1949年)は、ベイジル・ウィリング博士シリーズでは、第8作目に該る。追加情報であるが、ヘレン・マクロイは、幼少期、シャーロック・ホームズシリーズを愛読したとのこと。

物語は、ある年の11月、ニューヨーク市近郊のブレアトン(Brereton)女子学院において、幕が開く。
同女子学院に勤め始めて、まだ5週間しか経たない女性教師のフォスティーナ・クレイル(Faustina Crayle)は、校長のライトフット夫人(Mrs. Lightfoot)から、理由を一切告げられないまま、突然、解雇を言い渡される。6ヶ月分の給与を支払うことを条件に。確かに、ここのところ、同僚の教師や生徒達に妙に避けられた上、遠回しに見つめられていることを、フォスティーナは感じていた。

フォスティーナから相談を受け、彼女への理由を開示しないままの仕打ちに対して憤慨した同僚の女性教師ギゼラ・フォン・ホーエネムス(Gisela von Hohenems)は、恋人である精神科医のベイジル・ウィリング博士に、関係者に問い質して、フォスティーナの解雇理由を明らかにするよう、求める。ベイジル博士は、日本での長期の仕事から戻ったばかりであることが言及され、なかなか興味深い。

ベイジル博士は、ギゼラの依頼に基づき、まずフォスティーナと面談して、彼女の了解を事前に取り付けた後、翌日、ブレアトン女子学院を訪問する。そして、ライトフット校長や女生徒達から、驚くべきことが、ベイジル博士に語られる。
なんと、フォスティーナがブレアトン女子学院に居た5週間の間に、彼女達は現実にはありえない現象を目撃したのである。つまり、フォスティーナが、彼女達の目の前で、ブレアトン女子学院の異なる場所に同時に出現したのだ。所謂、ドイツ語で言う「ドッペルゲンガー(doppelgänger)現象」である。ライトフット校長達による恐ろしい話が語られるのは、物語のちょうど 1/3 辺り。
フォスティーナは、ブレアトン女子学院に来る前に、メンドストーン(Maidstone)学院で働いていたが、実は、そこでも異なる場所に同時に出現する現象を繰り返したため、それを理由に解雇されていた。
「ドッペルゲンガー現象」を題材にしたオカルトホラー・ミステリーというか、幻想的なミステリーの様相となってきた。

ベイジル博士は、ライトフット校長達が語った「ドッペルゲンガー現象」に困惑しながらも、謎の解明に挑むべく、調査を続行する。が、その矢先、父兄を招いたブレアトン女子学院のティーパーティーにおいて、恐るべき事件が発生する。
当日、フォスティーナやギゼラの同僚で、ある女生徒の父親(離婚済)との婚約を突然発表した女性教師のアリス・アイッチソン(Alice Aitchison)が、庭の階段から転落して、首の骨を折り、死亡。当初は、事故かと思われたが、ある女生徒がフォスティーナがアリスを階段から突き落とす現場を目撃したと証言。ところが、ギゼラは、その直前に、ニューヨーク市内に居るフォスティーナからに電話を受けたばかりだった(本作品の発表時、当然のことながら、固定電話しかない)。
ニューヨーク市内に居たフォスティーナが、ニューヨーク市近郊のブレアトン女子学院まで瞬間移動することは、物理的に不可能である。

本格推理小説ファンにとっては、極めて美しくも不可解な謎と言える。ここまで完全な不可能状況を繰り出して、作者はどのように結末をうまく着地させられるのか、終盤に向けて、期待が高まるばかりであった。

ところが、非常に残念なことに、本格推理小説は、現実の範囲内で着地せざるを得ず、十分予想されたことながら、終盤、「ドッペルゲンガー現象」は、これしかないという結論で解明される。これが、本格推理小説のやや悲しいところである。折角、夢見心地の良い気分だったのに、急に現実の平凡な世界へと引き戻されてしまったような印象を受けてしまう。
そうであれば、本格推理小説として完結しないで、このままオカルトホラー・ミステリー、あるいは、幻想的なミステリーとして完結してもらった方が、逆に良かったのではないかと思えてしまう。
また、ベイジル博士が、恋人のギゼラに頼まれて、フォスティーナを救うべく、調査を開始したものの、「ドッペルゲンガー現象」の謎に困惑するばかりで、あまり目立った活躍がないまま、終盤に至ったことも、マイナスポイントである。

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