2019年10月6日日曜日

東京 新宿区立漱石山房記念館(Natsume Soseki Memorial Museum)

夕暮れ時の新宿区立漱石山房記念館

日本の小説家、評論家で、英文学者でもあった夏目漱石(本名:夏目金之助 / 1867年ー1916年)は、1867年、江戸の牛込馬場下横町(現:新宿区喜久井町)に、町方名主を務める夏目小兵衛直克の五男として出生。
1893年、帝国大学(現:東京大学)文化大学英文科を卒業した後、大学院まで進み、大学院後は、松山(愛媛県尋常小学校)や熊本(第五高等学校)で教師を務めた。そして、彼は、1900年に文部省から命じられて、1902年までの2年間(なお、日本への帰国は、1903年1月)、英文学研究のために、英国への留学を経験。
英国留学から戻った後、東京英国大学講師となったが、留学中から神経衰弱に悩まされていた夏目漱石は、気晴らしのために、文章を書くよう、友人の高浜虚子(1874年ー1959年)に勧められ、「我輩は猫である」(1905年ー1906年)を執筆して、雑誌「ホトトギス」に発表。当作品により世間の人気を博した彼は、作家としての道を歩み始める。
そして、1907年、大学講師を辞め、専業作家として朝日新聞社に入社すると、新聞紙上で「虞美人草」、「三四郎」、「それから」や「門」等を連載。1910年、「門」の執筆中に胃潰瘍を患って、大量の吐血をし、危篤状態となるも、一命をとりとめ、その後も、「彼岸過迄」、「こころ」や「道草」等を発表するが、1916年、長年患っていた胃潰瘍が悪化しえ、執筆中だった「明暗」を未完のまま、49歳の若さで亡くなった。

新宿区立漱石山房記念館の玄関ホール

夏目漱石が1916年に亡くなるまでの約9年間を過ごした「漱石山房(Soseki-Sanbo)」と呼ばれた新宿区早稲田南町の家の跡地には、現在、新宿区立漱石山房記念館(Natsume Soseki Memorial Museum)が建っている。

夏目漱石と所縁がある新宿区内の場所が表示されている

「漱石山房」は、夏目漱石が1907年に専業作家として朝日新聞社に入社した後、数々の名作を生み出す場となった他に、彼の弟子や知人等、多くの文人が集うサロンの様相を呈していた。残念ながら、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1945年、東京大空襲の際に焼失。戦後、「漱石山房」の跡地の半分は「漱石公園」に、そして、残りの半分は(新宿)区営住宅(元:都営住宅)になっていた。

新宿区立漱石山房記念館内に再現されている夏目漱石の書斎(その1)
<記念館の展示スペース内では、ここだけ写真撮影が可能>

2011年、この区営住宅の建替移転が契機となり、新宿区では、隣接する「漱石公園」の敷地と併せて、日本初の本格的な漱石記念館を建設することを決定。そして、夏目漱石の生誕150周年を記念して、新宿区立漱石山房記念館は、2017年9月24日に開館したのである。

新宿区立漱石山房記念館内に再現されている夏目漱石の書斎(その2)

新宿区立漱石山房記念館には、
・「道草」、「明暗」や「ケーベル先生の告別」の草稿
・夏目漱石が弟子である松根東洋城(本名:松根豊次郎)宛に送った葉書
・夏目漱石の書籍初版本
等が所蔵展示されている他、夏目漱石が数多くの名作を執筆した「漱石山房」の書斎が再現されている。

漱石公園の入口前に設置されている夏目漱石像

<新宿区立漱石山房記念館>
休館日: 月曜日
開館時間: 10時ー18時(なお、入館は17時半まで)
<漱石公園>
年中無休
開館時間: 4月ー9月 8時ー19時 / 10月ー3月 8時ー18時


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